薪入りの昼食

国の存亡を賭けた戦争の為、一切が物不足の生活環境の中で、足並の揃わぬ裏切者もいるものだと知った。  我家を遠く離れ、工廠に働く女学生の昼食は、厚い木の爆薬箱に入って配達される。学生の当番…
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靖国の歌

 ふと口ずさんでいる歌がある。莊重なそして悲痛なけれど、ひとりで口ずさむにふさわしい歌がある。 積乱の雲の彼方に飛びゆける   十九の命今日は還らず 靖国の宮に御魂は鎮まるも   折り折…
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若草山

 或る日曜日、また数人で奈良へ行った。静かな東大寺を仰ぎ見て、そして鹿に見られながら若草山へ行ってみると、焙烙を伏せたような山の姿が優しい。トコトコ登り斜面で昼御飯にする。  その日の御…
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代返

若さとは良いもので何があろうとも楽しいことを見つける。親許を遠く離れて三人一部屋の生活はとても仲良くなってしまう。たまに家から送られてくる食糧も、三人で平等に分け大切に食べた。  毎日の…
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京紅

 命がけの毎日でも日曜は楽しみだった、空襲の無い京都や奈良へ遊びに行く。電車賃がとても安かったのも良かった。宿舎から暫く歩いてゆくと守口駅があり、そこから京都へ直通電車が出ていた。沿線は…
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十二要地高射砲

 作戦は終了した。昭和二十年三月から私達は、大阪陸軍工廠の第七工場に廻され「十二要地高射砲」の部品を作ることとなる。  十二とは、一万二千メートルの上空まで砲弾を届かせるの意と教えられた…
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風船爆弾を作った私たち

 弾丸除けも付けず、ガソリンも充分に積めず、基地へ帰還を想定しないあの悲痛な零式艦上戦闘機。世界一巨大だったかと思うが護衛の飛行機無しでは戦えぬ戦艦大和、そして哀れな人間魚雷艇などを作っ…
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敗戦六十年後のいま

 昨今、「太平洋戦争」前夜に似て、石油問題が騒々しいなあと気ずいた時、私は突如として「油の一滴は血の一滴」という標語を思い出した。  声も立てずに学生達が、夜も昼も働いていた大阪陸軍造兵…
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道後のいで湯

 春風やふね伊予に寄りて道後の湯  極堂  伊予の国の風土記にいう、-湯の郡。大穴持命は見て後悔し恥じて、宿奈毘古奈命を活かしたいと思い、大分の速見の湯を地下樋によって(海底を渡して)持…
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真っ赤な八月

 八月はタイムスリップ、私にとっては、激辛三十倍カレーを頬張ったくらい、心の奥が滾ってくる。  戦後五十数年ともなると、戦争を体験した連中が減少し、野戦も餓死も空襲もあの原爆さえ風化し、…
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