靖国の歌

 ふと口ずさんでいる歌がある。莊重なそして悲痛なけれど、ひとりで口ずさむにふさわしい歌がある。

積乱の雲の彼方に飛びゆける
  十九の命今日は還らず
靖国の宮に御魂は鎮まるも
  折り折り帰れ母の夢路に

 六月七日白昼のアメリカによる大空襲で、大阪市旭区赤川町の宿舎は、私らの持ち物を何ひとつ残さず焼亡した。猛火に追われ機銃掃射に狙われ命からがあら、着たきり雀で、その夜から大阪陸軍造兵廠下味原宿舎へ入った。
 軍用トラックに乗せられて来た宿舎は、将校用だったそうで設備は良く幸い布団も有った。だが困ったのは紙が無いからトイレに行けない、誰も無い、勿論日本中が無かった。
 誰かが部屋の襖の小さな破れを見つけた、その破れをそうっと指で拡げてみると、下貼りの新聞紙が見える。私達は申し訳ないとは思いつつ少しずつ引っ張り出し、小さく千切って分け合った。
 その襖に、達筆で墨色凛と此の歌が書きのこされていたのである。署名は無かった。それを読んで私らは感動した。攻撃に飛び立ったまま戦死して帰還せぬ若き飛行兵を思い、その切実感を共有したのである。
 紙片も鉛筆も無いその時、しっかりと頭に書き込んで六十年、今に消えていない。そして私は口ずさんで泪目になってしまうのである。

 戦時の民衆の命は石ころと同じだ。弾丸の如く飛ばされ、また踏んづけられっぱなしだ。それでも私は此の含畜のある日本を守りたい、日本の伝統そして文化、まだ残る美しい自然を伝えてゆきたいと切に希って生きた。戦時、十四・十五歳ともなればもうただの子供ではない。それにつけても今にして、沖縄県民の日本々土以上の苦悩と、敗戦後の真摯な努力を尊く思う。