2015年の幕が開きました。今年の3月11日で、東日本大震災からまる4年になります。
この間被災地のみなさんの暮しも、それを取り巻く世の中もどんどん変化していますが、ずっと通い続けて見えてくるものは、地域のみなさんにとって、必ずしも順調な
復興とは言えないのではないか、という気がしています。
生物多様性豊かで、持続可能なふるさとの再生となると、もっと疑問符がつくような気がします。
しかし、被災地に自生するエゾヤマザクラの実生苗を植え続けることで、地域のみなさんとの連携も深まり、私たちの活動が描く将来像を理解して、恊働してくださる方
たちも次第に増えて、たいそう歓迎してくださるので、植樹行も巡礼行も、とても楽しい旅になっています。
今後の植樹行、巡礼行に、たくさんの方たちとご一緒できますよう・・・
昨年一年の「明日は我が身の桜ライン」の活動を振り返ってみました。
数えてみると、なんと年間20回の被災地行きでした!!!!!
年の始まり一月早々から、気仙沼市の小泉海岸に予定されている巨大防潮堤を考える集まりに参加することから、2014年はスタートしました。
生物多様性の回復再生を強く希いながらの、津波到達地点への桜植樹と、海岸線の望ましい復興再生と保全は、切っても切れない大きな課題ですから、私たちも以前から、深い関心を寄せていました。
桜ライン最初の一本目を植えた、南三陸馬場中山の海を見ながら、みなさんでこれからの漁村、漁港、そして自然と共にある暮しのあり方を、話し合いました。
地元の漁師さんたちと、未来を語り合い、専門の先生方からも、力強いアドバイスをいただき、素晴らしい未来像を描くことのできた瞬間でした。
それからは機会あるごとに、沿岸部各地にできつつある防潮堤を見学に何度となく足を運びました。
一方では、浜の若い漁師さんを中心に、中堅の漁師さんや女性たちも加わって、海岸線のあるべき姿、これからの漁業のありかた、自然と共にある魅力ある地域の再生、をめざす住民たちの話し合いは、リアス会議と名づけられて、毎週土曜日の夜に欠かさず続きました。
そんな話し合いの中で、環境を壊してはならないと言いながら、自分たちも海を汚しているんじゃない?と自問自答する声が上がり、「海を汚さないようにしよう」「それにはまず、合成洗剤をやめよう」につながりました。
それならばと、東京から、セッケン一筋に情熱を燃やし続けるミヨシ石鹸株式会社の三木社長さんが、「セッケンと環境」のお話に来てくださいました。お話は、とてもわかりやすく、熱意もみんなに伝わりました。
その2へ続く