明日は我が身の桜ラインの2014年を、ふりかえって

12月
11月28日~12月02日

今期(2014秋~2015春)最初の「明日は我が身の桜ライン」植樹行を催行しました。

参加者は、何度も参加しているお二人と、事務局の合計4名でした。

南三陸町戸倉地区の一ヵ所では、美しい海を見下ろす高台に、犠牲になられた方達や、失われた大切な何かを偲ぶ桜が、ご家族の手で植えられました。「みんなの希望千年桜」「わすれない!千年桜」です。

みんなの希望桜
 
忘れない・・・桜 (1)

みんなの希望桜裏
 
スーパーじいちゃんの桜裏

南三陸町歌津では、昨年度植樹した同じ場所に、亡くなられた小さな女の子・ゆうちゃんを偲ぶ桜を、今回はおばあちゃまの手で植えました。いつも通り、参加者全員の名前を、立て札に記し、いつまでも「忘れない」気持ちを新たにしました。

ゆうちゃんの桜 (1)
 
ゆうちゃんの桜 (4)
 

ゆうちゃんの桜 (3)

参加のお二人は仙台から夜行バスに乗って帰路へ、事務局の二人は、夜の福島へと車を走らせました。車内からは、放射能汚染地域の除染作業が盛んに行われている様子が伺えました。
被曝覚悟の南相馬行きですが、先日来、急速に親しくなった方達の毎日を思うと、やはり共に手を携えての気持ちが高まります。
 
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12月19日~23日

今期第2回目の植樹行と福島支援の旅でした。

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今回は植えた桜の再点検という目的もあり、カメラの得意なUさんと事務局の3人で、南三陸町戸倉から歌津馬場中山をまわりました。

発芽から2年を経て、植えるばかりに準備したエゾヤマザクラ実生苗の一時保管管理や、植樹地選定などなどで、すっかりお世話になっている民宿津の宮荘は、宿泊のみなさんをも交えて、地域のみなさんとも楽しい交流、意見交換の場でもあります。

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先日植えた桜の様子も見て来ました。改めて「明日は我が身の桜ライン」の横断幕とともに記念撮影もしました。
桜の成長に託した明日への希望、海の未来を語り始めると、話は尽きません。
 
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一方、馬場中山の植樹地では、ちょっとした問題発生です。
高台の、津波にすっかり洗われた広い畑に、昨年来、何本も千年桜を植えていたのですが、どうやら、そこの畑の土を、田んぼのかさ上げに使うため、桜を植え替えしなければならなくなりました。
津波被災からの復旧、復興の大筋は決まっていても、細かい工程までは決まっていないので、地元のみなさんも、「まさか、こんなことになるとは」と当惑顔です。
せっかくたくさんのひとの力で植えた千年桜ですが、「明日は我が身の桜ライン」でも桜の移動作業を考えなくてはなりません。
これからもこんなことは、何回も経験することになるのでしょう。

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その後、福島フクシマへ

12月23日 「南相馬特別避難勧奨地点指定解除」の方針を強行しようとする政府からの、該当住民に対する説明会が、南相馬、原町地区の生涯学習センターで行われるというので、みなさんの応援に駆けつけました。

会場入り口では、指定解除に納得できない市民たちが、状況を明確にするための資料にと、パンフレットを手渡していたので、お手伝いしながら、説明会参加の市民に「指定解除反対!!」を訴えました。

会場内では、政府による説明の後、「時期尚早」と言う意見あり、「実情を正確に把握しているのか」と問う声あり、「帰れと言われても、この線量では帰れない」「こどもたちに帰れとは言えない」など、次々に声が上がっていましたが、時間切れ! と一方的に、説明会は終りました。

説明会の後の会場ロビーで、復興庁の方達に対する記者質問が行われましたが、舌鋒鋭く切り込む記者もなく、事態を好転させる機会にはなりませんでした。

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帰路の車窓から

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あまりにもあっけなく、南相馬市内の特別避難勧奨地点の指定は解除されて、住民たちの中かも、拍子抜けと落胆の空気が、一時流れましたが、みんなで食事したりしているうちに、これで「特定の人たちだけの問題ではなくなった」、「南相馬だけでなく、同じような汚染環境にある全てのひとたちの問題として、今日から心新たに再スタートだ」との声も上がり、今日の指定解は、敗北ではないという意識に変わりました。

その意識変化の現れが、早くも12月26日の、参議院議員会館での、政府に対する要請と抗議と追及の集会になりました。

12月26日
参議院会館にて

南相馬市から駆けつけた市民たち、福島県の各地からのひとたち、首都圏各地の大勢のひとたち、さらには静岡県や長野県、山梨県のひとたち、それに愛知からの私たちで、会場は席が足りないほどの人で、埋め尽くされました。

記者会見から始まりましたが、報道者からは、もはやフクシマは、ニュースバリューのない存在とみなされているのか、あるいは、ある種の報道管制の下にあるのか、事態の深刻さを問う声はなく、波風の立つ事もなく終りました。

引き続いて開かれた、復興庁に対する「特定避難勧奨地点指定解除の撤回」を求める集会では、市民側から、切々と訴えるひともあり、政府の対応を鋭く追及する声もあり、実情調査に何回も訪れた担当者に対して、あれだけの事実を無視してまでも指定解除した理由を知りたい、あの線量を知りながらなぜ解除できるのか、と詰め寄るひともありで、会場に期待の風が吹いたかに見えましたが、国の政策を推進する彼らは、無言のまま何も答えません。
「それでも同じ人間か」の声が、会場からも上がりましたが、無言のまま時間切れになりました。

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2014年を振り返ると、震災から3年以上を経て、明日は我が身の桜ラインを知る人も増え、私たちが、どんな目的があって、何をしようとしているかへの理解も進み、桜の植樹の希望者も多くなって来ました。

既に用意した実生苗も、5000本を超えて、桜ラインとなる日を待ちかねています。私たちがこの植樹を通して実現したいことの、大きな目標のひとつに、壊滅的に破壊された国土を、生物多様性豊かで、持続可能性に満ちたものに回復再生したい、というのがありますが、2014年はとくに、その意図がストレートに、被災地の人々に伝わり始めたと感じています。

このことは、まだ桜の植樹に至っていない福島県内でも、放射能汚染の中での復興再生を考える時の、大きな獲得目標になっているのですが、被曝しながらの毎日の中で、むしろもっと強く生物多様性や持続可能性を意識する人たちの存在に、驚き、励まされています。

津波被災地では、復興のために国土を削ったり、盛り上げたり、埋め立てたりの工事が真っ盛りなために、今年経験したような、既に植樹した場所から移植しなければならないような事態も起きていますが、そのような事態も含んだ上で、2015年に入った今期も、4月までせいいっぱい植樹を続けることが、被災地の人々への最大の支援になると信じて、鋭意継続していきます。

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