グラマン戦闘機の機銃掃射

 或る静かな日、何しろ工場が無い松山は、いつも寂としていた。校庭に整列して、先生の指示を受けている私達に、いきなり米軍戦闘機の一斉掃射が始まった。  性能の良い米機は、うんと高空から侵入…
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八月そして六日

 南国の太陽は早起きで、その日も、朝からヂャイヂャイと照りつけた。  この私は、およそ女学生とは見えぬモンペ姿。当時は、制服着用を許されず、血液型と氏名を書いた、小さな白布を胸に縫い付け…
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漢 字

俳句人に限らず世は論戦好きが多い。今から百年前を見てみよう。九月五日の読売新聞を引用させて頂く(於松山)。  一九〇八年(明治四十一)一月の本紙には、時の内閣総理大臣、西園寺公望のこんな…
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やいと

 おへんろの国は灸どころ。一昔まえの道後温泉は、土産物やの軒毎に、ほわほわ、ふかふか、蒲の穂絮か綿菓子などの如く、まん丸く盛り上げて「湯ざらしもぐさ」と貼り紙が下がっていた。秤り売りであ…
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 生命力ゆたかな蓬は神代の昔から青々としてあったろう。蚕や稲や粟・小豆・麦・大豆などと、須佐の男の命が下界に降りました辺に出ているから、草ぐらい有ったと思う。(見たわけではないが)  農…
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44・6・7 風ツヨシ

あーあ 田植えはしんどい 大学へ入った 息子よ 長い間の勉強 さぞ しんどかったろ 母ちゃんは 腰が痛うて たまらんと 空を見あげて あくびをしたら 鯨のような 大きい雲を 呑みこみそう…
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神話は面白い

 サイタ サイタ サクラ ガ サイタ で、小学一年生となった日本人は、やがて「天孫降臨」という一大事を救わることになる。  高天原にまします天照大神は、御自身の血すじの神をして豊葦原の瑞…
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 おあむ様物語を読むと、一六〇〇年代の暮らしが窺われる。おあむの父は、大垣石田光成の家来で三百石とりの武士である。真逆の時の用意の貯えは有っても、平常の朝夕は雑炊で食事は一日二度きりであ…
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今の平穏

 山里の正月は、真っ青な水菜のシャキシャキと小気味よきさまに、格別気どりもなく、明けそむる東の空から、衿を正す冷気とともに新たまる。  めでたさは、外に暮らす身内が、元気な顔を見せてくれ…
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神風伊勢参宮

 扨々、文化・文政の時代といえば、明治となる五十年から六十年前。世の中は、平和だったか苦しかったのか。兎も角、日本の庶民は旅が好き、(防人にゆく以外は。)御存じ十返舎一九の『東海道中膝栗…
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