2012年8月1日~2日 被災地巡礼コンサート

2012年8月1日~2日、東北へ行ってきました。
宮城県と岩手県です。

「明日は我が身の桜ライン」主催の被災地巡礼行。
震災後、私は初めて、東北へ行くことになりました。

私は日頃ピアニストとして演奏活動をしていますが、
ピアノが置いてある所がある、という事を
「明日は我が身の桜ライン」の代表黒田さんに聞き
是非それなら演奏もさせて頂きたい!と思ったことがきっかけです。

そして、お誘いした友人の一人がボーカリストでしたので、
ぜひ一緒に演奏したい!と思い、段取りをして頂きました。

宮城県登米市津山の道の駅「もくもくランド」にて、
私=ピアニストEVAとボーカリストSATOMIのデュオで
「桜さくら咲くふるさとの春」“被災地巡礼コンサート”
と題して演奏をさせて頂きました。

まずは、初日に訪れた被災された地域の様子から。

気仙沼。津波に加えて、火災での被害も大きかったんですね。
長い事燃え続けて、焼けて跡形も無くなくなってしまった。

ただ震災から1年4ヶ月経つ今では、瓦礫が取り除かれて
真っ平らになった所に草が生えて草原のようにも見えます。

大きな船だけが陸に上がったまま、残されています。

この辺りが全て水に浸かっていて、かつては住宅があり
日常の暮らしがあったと思うと、言葉がでません。

また津波は川を上って行くとのことで、海から何キロも
離れていても、大きな被害を受けた所があります。

川や道路を境に、また海抜の差により、被害の大きさが
天と地の差、命運を分けたことで、亡くなった方も、
助かった人も、どちらも辛い思いをされています。

焼けて跡形も無くなくなってしまったところがある傍らで、
気仙沼港には少しずつ、活気が戻ってきているようです。

産業がある所には、住居や店舗なども戻りつつあり、
復興の手掛かりになるものがあります。

一方、陸前高田市は、街全体が壊滅してしまっています。

会社も住宅も市役所など公共施設まで津波に飲み込まれ、
復旧のめどはたっていません。

3階建ての市役所、ここに来た方はかろうじて助かり、
すぐ目の前にある、安全と言われた指定避難場所にいた方は
全員亡くなられたという、規定の方法に関わらず、
一瞬の個人の判断が運命をわけたのです。

しかし天災というのは、怒りの持って行き場がないですね。

家族や友人を失った方、被災された方全てが気持ちを新たに
通常の生活に戻れるように、お祈りいたします。

大きなビルが横になってます。周りには何もありません!
全部もっていかれてしまいました。スゴい破壊力です。

杭もろとも、引っこ抜いて流してしまいます。

瓦礫は片づけられても、横倒しになったビルが放置され
あたり一面が海になっていたことが想像できます。

津波の威力は図りしれません。洗濯機のように渦を巻き
コンクリートも粉々にしてしまうのですから!

南三陸町の防災対策庁舎です。

無残にも曲がった鉄骨があらわになり、階段もくにゃっとなり、
津波の凄まじさを物語ってます 想像をこえた威力です

石巻市です。
 
こちらも住宅や商店がなど街ごと、何も無くなってしまい、
小学校は三階まで壊滅状態、火災で焼けた所もあります。 

救いはここの子供たちは高台に逃げてみな無事だった事! 

子供たちも希望を持って生きて欲しいと、願うばかりです。

教師と7割の子供たちが亡くなった大川小学校です。
海から4キロも離れていて、高台へ避難する途中に
津波にのみこまれてしまいました。

まさかの出来事とはいえ、避難の方法が問われています。
子供をなくした親の無念を思い、胸が苦しくなりました。

そして、仮設住宅への支援物資の受付や、支援などをする
「なじょにかなるさープロジェクト」事務所を訪問しました。

仮設住宅にお住まいの方たちが、作ったキャラクターグッズが
売られています。私も「むりくりとらちゃん」を買いました。

色がキレイ!配色や顔の表情がみな違って可愛いんですよ。

そしてこの旅の最後、いよいよ登米市津山の道の駅、もくもくランドにて、
ピアノEVAとボーカルSATOMIでのコンサートです。

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