家族をひとつに結ぶ “薪ストーブのある暮らし”

“薪ストーブのある暮らし”という言葉には、憧れにも似た独特の響きがある。
確かに、薪ストーブが燃えている空間には、火を囲んでひとつに集う家族がいる。会話が弾み、団欒が生まれる。もしかするとその昔、茶の間やちゃぶ台がつくり出してきた、現代が失いかけている大切な何かを、取り戻せそうな予感が、底流しているのかもしれない。
実際、大都会の真ん中で暮らす家族の間にも、薪ストーブは静かなブームになっている。薪ストーブ販売店の中には、暖房器具を売るというよりも、家族団欒の中心を売ることに徹している店も多い。
それでも、明るい大きなリビングルームに、存在感豊かに置かれた薪ストーブに火が入るのは、一年に何回もない家庭も少なくない。都会では、薪が手に入りにくかったり、高価だったり、煙突から出る煙を嫌う隣近所の人も多かったりする。
薪ストーブで、赤々と燃える炎を眺めるのは、なんとも心和み、満たされるものだが、せっかくの薪ストーブに、滅多に出番がないのではつまらない。

実は、“薪ストーブのある暮らし”とは、“山と共にある暮らし”と言い換えてもいいのかもしれない。
ほんの40年くらい前までは、私たち日本人の暮らしは、ほとんどの家が、山と共にあった。風呂を薪を焚いて沸かすのは、ごく普通だったし、冬になれば、火鉢に炭火が入っていたり、炬燵に炭火という家も多かった。
街のそこここに、薪炭を商う店があった。薪は、束にしてあるものを、10束とか20束とか、木炭は炭俵に入ったのを、一俵単位で配達してもらう仕組みだった。
近くに山がなくても、山はすぐ近くにあった。町の中にも、暮らしの中にも、山があった。

今では、それらの店も、プロパンガスと灯油に代わってしまって、山は町からはるかに遠くなってしまった。
心の中の風景からも、消えかけているから、薪ストーブに憧れるのかもしれない。

標高560mの高原の山に暮らしている私たちは、1年の半分は、薪ストーブを燃やしている。24時間火を絶やすことはない。家の中に、ほかの暖房器具はないのだから、この1台のストーブの温かさだけを頼りに暮らしている。
外気温が、-10℃以下に下がる1月の下旬から2月にかけては、薪ストーブ1台では、室温10℃にもならない。
私たちはこれを、“室温10℃の暮らし”と呼んでいる。
この程度の寒さには、誰でも比較的簡単に慣れて、誰ひとり風邪ひとつ引かない健康な暮らしが実現した。
もっと大切なことは、それと同時に、自然に、エネルギーの枯渇や収奪に思いを馳せることができるようになり、エネルギー循環と生態系循環とが深く連動していることを実感しながら、毎日、24時間、それらの困難な問題と自分たちの日常の暮らしのありかたについて、真正面から向かい合えるようにもなった。

秋になって、農事がひと段落する頃からは、山仕事が始まる。
昔は薪炭林だった裏山にも、スギやヒノキが植林されて、手入れも行き届かないまま放置されている山が多くて、薪や炭にする原木を確保するのは、容易ではない。
ようやく見つけたコナラ山も、30年も40年も、誰も利用しないまま放置してあったから、一抱えもある大木になりかけている。伐採作業そのものが、大仕事になってしまう。
薪にするために、コナラなどの広葉樹を伐るにしても、株立ち=萌芽更新して、15年か20年先には再び、薪として利用できるよう、秋から冬にかけて伐採する。成長力の衰えはじめた老大木から伐って、森の若返りを促進する。
山には、見上げるほどに育ったコナラやアベマキが、威風堂々と聳えている姿に圧倒されるが、少し前までだったら、もっと早い時期に伐って株立ちさせて、を反復していたはずのものだった。(その樹勢の衰えかけた大木たちに、ナラ枯れ病が襲いかかって、日本全国に大きな被害が出始めている)
太くなった樹は、伐るのもたいへんなら、運ぶのも、玉切りするのも、割るのもたいへんなのだが、日本人の暮らしから山が消えたつけは根深く、これからまだしばらくは、その解消のための苦労が続く。
ようやく割り終えた薪は、積み上げ、積み替えをしながら、少なくとも2年は乾燥させる。
ストーブで燃やすのは、3年後の冬ということになる。

木々の葉っぱは、土の養分になり、最終的に分解されて土になる。小枝も、一部は山の土が流れ出さないように、土止めに使ったりしたあとは、残らずたきつけになる。少し太い枝は、薪にもするが、シイタケ栽培のホダ木=原木にしたりもする。
何ひとつ無駄にすることはない、暮らしの基本が生きている。

私たちが、大自然と向かい合うとき、大地に何か手を加えようとするとき、私たちが決してしてはならないことがあることを、私たちは実地で学び始めている。遠い昔から、私たちの先祖や先輩たちは、それを守り通してきたから、今の私たちがあることも、いっしょに学び始めている。
私たちはそれを、「自然とのかかわりの作法と流儀」と呼んでいる。
私たちが、作法を守り、流儀に従えば、自然は、大地は、山は、自ずと応えてくれること
がわかり始めている。

伐採して明るくなった森には、太陽がさんさんと射し込み、風もさやさや通って、急に活気を帯びて、翌年の春には、残った木々は空いた空間に枝を伸ばし始める、驚くほど大きくなり丸くなる。
長い間その時を待っていたドングリや木の実たちが、いっせいに芽吹いてきて、株立ちしたコナラたちと、成長を競うことになる。
この時とばかり、草が萌える。
常緑の低木たちも、ようやくそのときが来たかと、自分の領域を確保しようとする。
ありとあらゆる生命が躍動する。
動物たちの動きも活気づく。
小鳥たちがいっぱいやって来て、木々の間に残してある常緑の潅木を隠れ家にしながら、明るい森でさえずりを聴かせてくれる。

山は、私たちに何もかもを与える。
水も、きれいな大気も、栄養豊かな土も、食べものも、エネルギー源も、私たちの元気の源も、何もかも与えてくれる。
私たちは、森に生かされている。

私たちは、森を生かしているのだろうか。
自然の摂理の大原理に従って、感謝の気持ちを忘れず、私たちの山への作法と流儀を守りながら、寄り添うように山に入るのが、私たち日本人のライフスタイルだった。
薪ストーブブームが、山のおかげで生きている私たちの毎日への、遺伝子の記憶を呼び覚まし、その恩に報いる何がしかの行動につながってほしいと希っている。

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