水道の蛇口の向こうに、森が見えますか

都市の市民にとって、
「水問題」とは何か。

水道の蛇口をひねると、無限に流れ出てくる水は、
どこから来て、どこへ行くのか。
ほんとうに無限で、使いたい放題なのか。


                      
* 地球の歴史が始まって約46億年
* 生命の萌芽が誕生して約40億年
* 生物が海から陸上に上がってきたのは5億年位前
* 人類の祖先が生まれて約500万年
* 今の「ヒト」が生まれたのは、せいぜい長くて50万年前(10万年前という説もある)

地球の歴史に比べて、ごく短い人類の歴史の、最近のほんの数十年を例外として、
「森林系」と「水系」と「生態系」は、
それぞれひとつながりに連続していて、
相互にも有機的に関連しあい、つながりあって成り立っていた。
ひとの暮らしは、その経絡線の網目の上にあって、
その恵み-水も、空気も、土も、食べものも-で成り立っていた。
原始、人類は、水のある場所に住みついた。

水がなければ、生命は存在しない。
生命の星、青い惑星の象徴は、「水」。

適切な量の、きれいな水を手に入れることは、生命の維持や健康、食糧と同様に、世界中のひとびとの「基本的人権」。(1977国連宣言)

 水を「基本的人権」と考えるか、「生活必需品のひとつ」と考えるかによって、どんな地域の誰でも、必要な水を確実に手に入れられるかどうかの、決定的な分かれ道となる。
  
 「基本的人権」と考えるとすれば、その国で生きていくことを保証する生存権のひとつであり、誰もその権利を売ることはできないし、買う必要もない。
  
 衣食住と同じように「生活必需品」ならば、市場原理に従って売買されるもののひとつになる。水を商品化すれば、貧困層にとって、水は手に入れにくいもののひとつになってしまう。
 水の供給に関する業務を、「アウトソーシングして」「民営化」すれば、自然環境や生態系、生物多様性を保証するための「水」に対して、誰が「金を払う」のだろうか。
 企業が、湿原の保全や、そこに生えている貴重な水生植物のために、得られるべき利益を放棄したり、得た利益を還元するとは考えにくい。
 「市場原理」の原則からすれば、民間企業が、貧困のために水を買うことができない人々に、水を供給するのを躊躇するのは当然だということになる。

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