東北震災の現地を見て

今年の夏、決断をした。
少しだけ自分の為の人生に近づけるために・・・

そんななかで、自分の眼で見ておかなければ
いけない気がして、東北への同行をお願いした。

現地への道のりのなか
移動工程と現地の状況を伺いながら移動した。
震災発生から毎月、現地を見ている生の声を
お聞きし、いまにして思えば
いきなり現場をまのあたりにしたときの
衝撃を少しでも和らげるために
少しずつ、免疫をあたえるかのごとく話して頂いた

でも、言葉を失った
8ヶ月も時計は進んだのに
瓦礫の片付けは進んできているが
建物の土台だけ残された、何もない町
一階部分が柱だけの家、つぶれて錆色になった車
復興って・・・
いくつかの震災現場を見てまわるにつれ
被害の大きい・小さいではなく
復興に向けての動きに差があるのが気になった
家屋への被害の大小ではなく
あきらかにそこに住んでいる(いた)人の違いを感じた
震災を受けた方々の悲しみや落胆の大きさは想像もつかないので
そんな単純なものではないかもしれないが
手のつけられずにいるところ(もちろん行政の
意思決定がされず、建物が建てたくても建てられない
ところもあるのでそこは別としても)と、
自ら行動し、かたち作ってるところもある
目の前にある、衝撃の光景から我にかえったとき
東南海地震が起きたとき、自分達は何が出来るのだろうか
荒れ果てた大地に花を植える心の強さを持てるか
かたちはどうあれ、すぐに生活や仕事を取り戻す行動に移せるか
何を考え、何を準備するのか
国が何かしてくれるのを待つのか?
いや、東北より広い範囲で被害が大きかったら
国も何も出来ないし、多分、待ってられない
だとしたら・・・

  

今の時代、何かから逃げるために
「癒し系」なんて言葉がもてはやされ
自然はこころを癒してくれるものとして
雑誌なんかには書かれ、山ガールなんて言葉も生まれた

でも僕は自然の情け容赦なさを
世界の冒険家ほどではないが経験的にも、感覚的にも
知っている
人間の考えはあさはかで、時として、猛威をふるった自然には
太刀打ちはできない
でもそこからはい上がるのも人間でそのとき
行動をいち早くおこせるかは、少しでも普段から考え、
準備しておくこと
準備したものが役にたつ、たたないではなく
考えるという行為が大切なんだろうなぁ

こどもたちと話をしよう
そして一緒に考えよう
そのときに慌てないために
そして、本当に必要なものは何なのかを

(Text:Nakashima)