ハトのこだわり (岡 南)

 様々な生き物の行動パターンは、時として人の行動に重なることが多く見受けられます。例えば一般的に鳥類と人とは、視覚に重きをおいた行動をとるといわれています。もちろん鳥類は、視覚だけでなく他に嗅覚や磁覚といった感覚器を使っているらしいことも研究されていますが、それでも視覚は鳥の行動上大きなウエイトを占めているようです。

 ハトの帰巣についての研究を、一つご紹介しましょう。ハトは放鳥場所からゴールまで飛ぶ場合、ある程度の個体差はあるものの、最短ルートで飛ぶことができるといいます。ところが以前とは異なる、新たな場所から放鳥した場合、ハトは最短ルートで帰巣するのではなく、既に慣れたルートまで飛び、そこからいつものルートで帰巣するというように、柔軟にルートを変更することが難しいらしいのです。このようにハトは、「慣れた」ルートへのこだわりが見られます。
 例えば放鳥場所である神奈川県の藤沢から、北東に位置する東京まで一度帰巣が成功したとします。次に藤沢のほぼ東に位置する鎌倉から放鳥すると、直線コースでは藤沢・東京間より、鎌倉・東京間のほうが近いにもかかわらず、ハトは直接東京をめざすのではなく、東京方面とは異なる、藤沢方面よりへわざわざ飛び、そこから藤沢・東京ルートに沿って飛ぶという遠回りをします。決して鎌倉からすぐ東京へ、直線的に向かうということはしないというのです。このことは、一度経験した場所やルートを基軸とし、認知能力の負荷を、最小限にとどめているらしいことを比較認知神経の研究者の渡辺茂先生は、自著 注1)で述べています。もし鎌倉から直接東京へ飛ぶハトを作ろうとすると、おそらく認知能力を高める脳のシステムが必要で、重量オーバーになるのかも知れません。ハトの小さな脳と、ある一定の速さで飛ぶこと(機能)のできるからだの重さや形というバランスが、ハトが生きる(身を守る)上での合理的な形態(デザイン)となっているわけです。

 短いコースといえども最初から最後まで、はらはらどきどきしながら、しかも確実に到着できるかどうか分からない全く新たなルートよりも、最初の短いルートだけを緊張し、後は飛び慣れたルートで安心して飛ぶというものかも知れません。これは単に時間や速度の効率だけではない、(鳥にこころというものがあるとして 注2))こころの安心に重きをおいた確実なルート選びだと言えるのではないでしょうか。

 人の認知特徴を大まかに視覚と聴覚という二つに分類して考えた時、上述のこだわり行動というのは、視覚優位の人の行動にも似たものがあります。視覚の強い人は、慣れない場所へ行く時には、それ以前に視覚的なイメージで段取りもつけますから、まだ行ったことのない場所での行動を視覚で想像することができず、かなり神経を使い緊張をします。よって視覚優位な人は、積極的に一人旅に出ようとは、なかなか思わないものです。しかし慣れた場所に行くことは、いとわないのです。「慣れる」ことは、心の余裕を生み出します。

 現代では当たり前に、時間や速さといった効率優先の考え方が中心ですが、ハトに見られるような、効率は二の次にしながら、「慣れた」ルートを選び、確実さに重きをおく方法の利点について、具体的に考えてみましょう。

 まずは学習方法として、学習障害の一部の子どもたちへの支援の基本は、その子どもの認知特徴に合わせ、さらに新たに学ぶことは、それまでに学んだことに、スモールステップで加えていくことが望ましいとされます。一例として小学校低学年の算数の足し算で、答えが二桁(99)までの練習に慣れた場合に、次のステップの問題は、答えがすべて三桁(100)の位を超える計算ばかりではなく、それまでに手馴れている答えが二桁までの計算を8割とし、新たな計算を残りの2割とするドリル式方法であるならば、例え子どもによっては100という概念につまずき、新たに理解できずとも、8割は理解できていますから自信の喪失には、直接つながりません。子どもたちにとっては「慣れた」ところに「立ち戻れる」という利点があります。

 またそれを人の行動に置き換えてみると、人は効率優先と「慣れる」ドリル的方法の二つを日常的に、時と場合により使い分けているのではないでしょうか。「慣れる」方法についてこんなこだわり行動をする人もいます。
世界的に著名な物理学者で、大学で研究にいそしむM博士は、大学での講義の前に、必ずお気に入りのコーヒー店で、コーヒーをいただくという、日々のこだわりがあります。遠方で講演をされるときにも、それは変わることなく、よって前日に講演場所近くのコーヒー店を見つけておく必要が生じます。その一杯のコーヒーの、前日下見のための一泊の宿泊代の出費は、どうなるのでしょうか。
 一般的な人でしたら、講演先に日帰りの日程を組めば、次の日は自宅で疲れを癒すことができ、一泊の宿泊代も払わずにすみます。
 しかし「慣れる」ことに重きをおく行為をするM博士は、どういうことになるのかと言いますと、前日の予定の都合がつけられたとして、目的地へ時間に追われることなく向かえますから、場合によっては、乗る電車や飛行機もお好みしだい。(講演先の主催者が既に用意をされていることが多いのですが)道中も好きなように楽しめ、リフレッシュ効果も加わるかもしれません。目的地の場所の風情を感じ取る余裕もでき、視覚的な刺激にもなります。時間に余裕のある状態で下見のためにコーヒー店に入り、コーヒーをいただくのですから、その空間とコーヒーの味わいとで視覚と味覚の刺激を受けます。ついでに付近の名所や魅力的な場所に足を伸ばすかもしれません。さらにご当地特有の夕食を堪能すれば、味覚的な刺激にもなります。宿泊先の夜は雑用に追われることもなく、読書にも集中できることでしょう。
 効率のよい行動パターンは、楽しむという余裕が少なく、緊張を強める分、次の日には疲労となるかもしれません。M博士のように「慣れる」ことに重きをおく場合は、緊張を最低限に抑え、ゆとりや楽しみが生じ、さらには感覚的刺激をもらえるのです。ゆとりや楽しみが生み出すものの一つに、発想があります。義務的な行為からは、発想は生まれません。発想は、心の自由さや余裕、リフレッシュ効果による適度な刺激から生じると考えられます。
 そしてこの状態の脳はといえば、刺激を受けることで脳細胞は活性化します。ですから「慣れる」ことは、逆に脳細胞の活動を減らすことになりますが、その分、余裕が生まれるわけです。
 ちなみに「楽しい」という表現には、何かをしていることが「楽(らく)」だという意味にもつながります。 「楽」なことにはストレスが生じませんから、よって長く続けることができます。「慣れる」に重きをおく行動は、人にとっても意味ある一つの方法ではないでしょうか。
 M博士の前日一泊の宿泊代は、確かにかかりますが、それは目には見えない、「安心」や「発想」といった次への準備という将来への投資と考えることができます。

 「効率」は目に見える数値などで表現できますが、「安心」や「発想」は数値にはなりにくいものです。しかし本来、生き物の行動は、この目には見えない感覚で危機を乗り切り、40億年を生き延びられてきたのではないでしょうか。万が一の場合「被曝」という自らが立ち戻れなくなる方法で、エネルギーを生産することよりも、確実に安心できる方法でもたらされる許容量を前提とした営みを望むことは、生命あるものとして、当然なことと思うのです。

 「慣れる」ということに重きをおいたハト的行動は、一概に効率が悪いというのではなく、その時の一時的な効率は悪くなろうとも、そこから生じる余裕によって別の刺激を受け、次のための準備作用が、そこに見出されるようにも思われます。「慣れる」ことを基軸として、そこから確実に少しずつ発展し、必要な時には「立ち戻れる」方法や生き方、あるいは社会のあり方を考えることもできるでしょう。そういう社会であれば、人々は希望を持つことができるのではないでしょうか。

(おか みなみ / 認知デザイン)

注1) 渡辺茂著『鳥脳力』(化学同人、2010)、『ハトがわかればヒトがみえる』(共立出版、1997)
注2) 鳥にこころがあるのかということに興味のある方は、ぜひレン・ハワード著、齋藤隆史・安部直哉訳『小鳥との語らい』(思索社)を読まれることをお勧めします。著者の優れた観察眼で捕らえた鳥たちの行動や、個性豊かな鳥たちと著者の交わりが描かれています。

––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

岡南著『天才と発達障害―映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル』
(講談社、2010)

視覚優位・聴覚優位といった認知の分類や、認知の偏りを生かし「個人が幸せ
になるため」に書いています。読字障害(ディスレクシア)でありながら、視覚を
生かし4次元思考するガウディ。聴覚を生かし児童文学の草分けでありながら、筋
肉の問題や吃音障害、人の顔や表情を見ることができない相貌失認のルイス・キャ
ロル。個人が長所を生かし「やりがい」をもって生きることについて考える本です。

杉山登志郎・岡南・小倉正義著『ギフテッド―天才を育てる』(学研教育出版、2009)

––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––