震災で傷ついている多くの皆様へ

2011年3月11日午後 日本の多くの地域で感じた強い揺れと同時に未曾有の大地震が発生しました。
東北関東大震災は、千年に一度というくらいの大自然災害です。
今生きている私たちの誰も、経験したことがありません。見るもの、聞くもの、何もかもがはじめてです。

津波があんなにもの凄いものだと、誰も知りませんでした。
昔の置石の上に置いただけの家ならいざ知らず、今の時代の、基礎に固定された家を、あれほど簡単に持ち去ってしまう水のエネルギーのすさまじさに、誰もが愕然としたことでしょう。

失われた生命は、1万人をはるかに超えています。
壊滅した町の復旧には、たいへんな、資金と人的エネルギーが必要です。
めげてしまいそうな気がしても、誰も不思議には思いません。

そして何よりも悔しいのは、またしても政府や行政や自衛隊など、また、なすすべを知らないで手を拱いている、公共交通機関や電力をはじめとするエネルギー機関は、この大災害を、巨大人災に換えようとしています。

数十万人の避難生活している被災者に対して、ここ数日間で、報道された数字が間違いないとすれば、僅かに数万食というのには、怒りを通り越して、悲しくなりました。

為政者の誰も、陣頭指揮をとろうともしません。
自分の守備範囲の中で、記者会見したりしているだけです。

必要なのは、水です。食料や寝具、衣類、暖をとる仕組み、夜中でも煌々と蛍光灯が光る体育館などではない、安心できる空間です。いくらかでも自分らしい、家族との暮らしらしい安らぎです。
必要な医療やケアです。

いまさら言ったって遅いのですが、こんなことがあろうかと、原発にNO !!と言ってきたのです。
原発がなくてもすむ暮らしの確立を急ぎましょう。
そして一日も早く、既存の原発を廃棄しましょう。

私たちの急務です。
原発に依存するほかない社会や経済の構造であるならば、今や、その社会構造、経済構造そのものにNO !!と言いましょう。

それを支える政治に対して、官僚制度に対して、NO !!と言いましょう。

今回、望みもしないのに突然、生命を絶たれてしまった多くの犠牲者の悔しさに応える道を進みましょう。

頭を深く垂れて、わが胸に手を当てて、失われた多くの生命に心から哀悼の気持ちを捧げると共に、ただ幸運にも生き残った私たちが進むべき道を思い、覚悟し、決意しましょう。必ず、みなさんの悔しさ、苦しみ、に報いると。