12/17 福島松川 ~ 飯舘村 ~ 南相馬小高地区 ~ 原町 ~ 相馬市 ~ 山元町 ~ 岩沼市 ~
名取市・閖上地区 ~ 秋保温泉
12/18 南三陸町 ~ 歌津 ~ 若柳金成 ~ 盛岡・鶯宿温泉
12/19 盛岡 ~ 宮古 ~ 田老 ~ 鵜住居 ~ 遠野 ~ 花巻空港 ~ 陸路を帰路へ
12/20 夜東京早稲田大学にて「日本土木学会トークセッション」参加
12/21 愛知着
参加者 Kご夫妻 Nさん 黒田2
今月12月は2度目の植樹行です!
しかも、参加のみなさんも2度目の桜ライン東北行。おまけに前回は飛行機を利用なさったK夫妻はなんと熟年令なのに「車中泊」体験希望という好奇心いっぱいのお二人です。
ワクワク感いっぱいの旅の始まり!!!!!
豊田市で乗り心地満点のサロカーのレンタカーでK夫妻と合流して出発
その後新東名沼津PAで合流したNさんと総勢5名で順調に東北道へ。
冬景色の安達太良山付近通過
東北道を福島松川で下り、いよいよ福島入りです。
雪景色の中には原発事故から日常の暮しを失った風景が続きます。
どの家も無人です・・・・
大がかりな除染風景、行き交う車は工事車のみ・・・
飯舘村にやってきました。今年の3月以来の福島です。
http://yamanochikara.com/article/tohoku/sakuraline/4072/
やはり線量計は高い数値です
津波との二重災害にあった沿岸部は片付けもいまだ手つかず 南相馬市小高地区
前に見つけた捨てられたグランドピアノ・・・あの象徴的な景色がずーっと心に残っていたので今回、再度行ってみました。ピアノはさらに廃棄物に囲まれて、フタも外れそのままありました・・
「・・・こうして、いわば狐につままれたように避難は開始され、しかも避難した先でさえ、事故の真実は伝わってこず、それどころか外部からの情報がまったく途切れた状態のままで、突然、本当に起こっていたことがーそれも非常に断片的なかたちでだがー間接的に示される。
命に関わる問題でありながら、必要な情報が遮断されている。そのなかで、自分のみならず、家族や子どもたちのすべてを判断しなければならない恐怖。気がつけば見えない放射性物質で汚染された場所にいながら、その情報がまったく入ってこない不気味さ。
避難の実情がこうしたものである以上、そこには疑念、不信、恐怖などの負の感情が大量に張り付いてしまっており、そこに政府から「もう安全だから帰ってください」「線量の低いところは帰れますよ」と避難解除の指示が出されても、人々はそう簡単に受け入れることはできないだろう。こういう避難でなければ、「政府がいうなら帰りましょう」もあるかもしれない。しかし、このときの避難の経緯や、情報の流れ、そしてさらに気がつけば放射性物質で汚染されたなかにおり、被爆させられてしまったことを知ったときの「しまった」を伴う恐怖心。これらは、いったん体験してしまえば、もはや「なかったこと」にはならないものだ。人々が避難指示が解除されてもなかなか戻ることはできない背景には、こうした経験がある。」
「人間なき復興」山下祐介・市村高志・佐藤彰彦著 より抜粋
その2へ続く