2月5日 同行のUさんは仕事の都合があり、前日の夜行バスで一足先にお帰りになりました。
事務局の二人はまだ目的がいくつかあります。
南三陸町の山あいの事務所に、山内明美さんを訪ねました。
実はここは、廃校になった明美さんの母校なのです。
これからの復興と再生について、何がどうなることが真の復興なのかを、話し合いました。
鉄とコンクリートの復興ではないだろうと、意見は一致しますが、さてそれをどうやって
現実にするかは、難問です。
いくら時間があっても、足りませんでした。
懐かしい母校の外観です。
歴史がしみ込んだ木造の小学校、こどもたちの声が聞こえてきそうです。
南三陸町の中心市街地だった場所。
地盤沈下が激しく、海の水を湛えたまま、瓦礫の片づけがすすんでいます。
ここに町がありました。
建物の基礎を撤去したら、痕跡さえ残らず、ただ茫漠とした荒野が広がっているように見えます。
震災前は、海にいちばん近い鉄道の駅「大谷海岸駅」のあった場所です。
ここにも巨大防潮堤計画がありますが、地元のひとびとは、陸上にセットバックしてほしい
と希望しています。
となると、鉄道も国道もセットバックすることになり、難しい折衝が続きそうです。
国民的支援が必要です。
小泉から、大谷海岸、階上と、低地が広がる地域では、少し高台になった場所は、それほど大きな被害はないのですが、低地は壊滅しました。
今はただ荒れ地が広がっていたり、湿原や汽水湖になっている所もあります。
何をどう復興再生すればいいのでしょう。
階上の地福寺です。
海辺の森づくりの会のひとたちと、支援者が集まって定例の会議です。
防潮堤の代わりに、陸の松島をつくろう、湿原や汽水湖はそのまま保全して、修景もしよう、と熱心な議論が夜半まで続きます。
明日は我が身の桜ラインの大植樹地になりそうです。
さあこれから私たちは、夜走りして帰ります。帰り着くのは、明日の朝です。
今回は、およそ2800kmのドライブでした。