東日本大震災7ヵ月、現場からの報告

これから百年後、二百年後、三百年後の日本の家並み、町並みが、人の暮らしの風景が、どうあればいいか、どうありたいか、ライフスタイル、資源、環境、廃棄物、健康などなどの視点から、きちんと議論されるべき時が来ている。
建築にたずさわる専門家は多い。事業者も多い。
そこに生き、暮らすことになる市民を交えて、関係する広範囲な専門家たちや、関心を寄せる全ての人たちの手で、議論を尽くし、実験し、持続可能な新しい方向性を見出すのは、今だと思う。
とりわけ住宅建築にかかわる、研究者やデザイナー、建築家の奮起を促したい気持ちが、身体から溢れそうになるのを押さえきれない想いだった。

 

破壊されつくして、枡形の土台だけが続く、かつての住宅地の中に、ぽつんと取り残された全壊か半壊の家がある。隣の家は流失して跡形もないのに、半壊の家が何軒か立ち並んでいたりする。
この違い、この差が、どこから生じたのか、どんな原因や理由があって、そうなったのか。誰も感じるその不思議を解明することは、これもまた、千年に一度の大災害への、私たちの対処と対応を考える上で、大きな示唆となるはずだと思っている。

同じ大災害による「壊滅」と言っても、家も何もかもが失われてしまうのと、家屋の基本部分が残存しているのとでは、復旧の容易さが違う。地域の形から作り直すのは、地域に培われてきた歴史や伝統をも、作り直すことを意味する。
津波は、家屋といっしょに、地域の文化を流し去ってしまう。
全てを失うのではない家づくり、街並みづくり、町づくりを模索するときではないかと思う。
高台に、全ての住宅を移転させることなど、考えることはあっても、実現することは困難だとわかっている。
それが町の復興、再建、再生とは違うものになることも、わかっている。
全く違う、新しいニュータウン建設になることが、わかっている。
できることなら、これまでの町を再生、復興させたいと、みんな願っていることも、わかっている。

何回も通いつめて、千年に一度の大震災に対する、私たちの対処や対応が、もっと自然への畏敬と敬意に立脚して、圧倒的な自然の力に、膨大なコンクリートと鉄で対抗するのではなく、自然を受け入れ、自然に従い、自然の命ずるように、柔らかい受け止めかたに転換することが、実は、できた試しもない「災害を完全に防ぐ」ことではなく、「災害を最小限にとどめる」ための、最善の処方箋ではないかと考えるようになった。

同じ津波を真っ向から受けて、辛うじて残った家屋の仔細な調査と分析から、その原因と理由を探り出すことは、今ならできる「被害の最小限をめざす、新しい対処と対応」への基礎研究の根幹であり、出発点ともなると考えている。

今私たちが、全力を尽くすべきポイントが、はっきりしてきたように思う。
私たちが向かうべき方向と道が、見えて来はじめている。

膨大な作業が待っている。
中心になる人たち、いっしょに協働する多くの人びと、組織、資金、どれもこれも重くのしかかる難問ばかり。
はたしてできるだろうかと思案するより、今日の一歩を踏み出すことが、いちばん大切ではないかと、勇気を奮い起こす人たち、「この指とまれ」。

 

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