希望は何処にあるのか

3月11日から140日、日本は滅びようとしているのか。
津波は去り、災害は居座っている。
絶望が、希望に変わる日が来るのだろうか。

被災地に人影が見えない。
冬景色だったあの日から今は、夏草が生えた荒野が、見渡す限り拡がる。
異臭が鼻をつく現場に、時に、瓦礫を片づける重機が動き、ダンプが行き交う。
何かが未来に向かっているような気配がしない。

  

  

  

3月11日の直後は、もっと現場は酷かった。胸を突き上げられ、眼をそむけるほどの光景が、はてしもなく続いていた。
発するべき言葉を、思いつかなかった。
それでも今よりは、何かが動いていた。
救援に駆けつけたひとびとの姿が、忙しかった。
きれいな音ではないにしても、音の風景もあった。
うちひしがれた中にも、何かしないではいられない衝動が、人を突き動かしていた。

3月11日の、あの衝撃は、今も変わらず続いている。
しかし、希望が見えない。
何かが決定的に不足している。
経験したこともない不幸に立ち向かうには、勇気が要る。希望が要る。意思が要る。仲間が要る。
被災したひとびとに、それが持ち合わせがないのではない。
小さな部分をよく見ると、それはささやかに発揮されているのがわかる。
しかしそこから燎原の火のように、燃え盛り、燃え広がりたいのに、広がらない。
意思が点在するだけで、線につながり、面に広がっていかない。

あまりに3月11日の災害は、広範囲に及び、深刻すぎる。
一個人、一地域、一個の市町村の力量を、はるかに超えている。
もっと大きな力が、迅速に働かなければ、ひとびとの意思は萎え、勇気は衰え、希望は絶望に変わる。

未曾有の天災に、人類の歴史上最大級の大人災「フクシマ」が、追い撃ちをかけた。
ひとびとの希望を打ち砕くには、じゅうぶんすぎるくらいじゅうぶんな出来事に、無神経で怠慢なばかりか、欺瞞的でさえある政治が、さらにさらに追い撃ちをかけている。

またしても壊滅的な被害を受けた、田老役場の津波防災宣言都市の看板を見てほしい。
学識経験者や、国や、コンサルタントの進言と指示によって、多額の税金を投入した防災策は、何の役にも立たず、多くの人命と財産だけでなく、ひとびとの希望まで失わせた。

 

空き地や、海岸沿いの湿原に集められ、高く積み上げられた瓦礫の山を見てほしい。
私たちが営々とつくり上げてきた、科学と技術の20世紀の工業文明の残骸の山を見てほしい。

 

この三陸海岸一帯は、1896年(明治29年)に、今回と同じくらいの規模の津波を経験している。また、1933年(昭和8年)にも、大きな津波を経験している。

それらの津波の壊滅的な被害の教訓でつくられたはずの、田老の防潮堤は、今回の津波の被害を、いささかも軽減することはなく、破壊された。
そして今回は、前回までにはなかった「始末に負えない、現代文明の瓦礫の山」を、もたらした。

それまでの瓦礫は、ほとんど土に戻るか、燃やせるものだった。
そしてもっと量も少なかった。
私たちのケミカルな暮らしが、鉄とコンクリートへの無限の信頼が、この新種の瓦礫を生み出した。
まるで20世紀文明の巨大墳墓のような瓦礫の山に、私たちはどう立ち向かえばいいのだろう。
中に含まれているであろう、さまざまな有害物質を分別することも、除去することもできず、埋め立てゴミにするほかないとすれば、これもまた子々孫々に、そのつけを回すことになる。

   

私たちは、今回の巨大すぎた自然災害の被害を、どう回復するかに直面しているが、同時に、二度と同じ過ちを繰り返さないために、何をどうすればいいかにも直面している。

「フクシマ」が重なったことで、二重に私たちは、この二つの大きな課題に直面することになった。
国も、地域も、企業も、個人も、この課題に正対しなければならない。
私たちもまた、自分自身のライフスタイルのありかたを、根底から見つめなおすべき時と場面に直面している。

東日本大震災被災地と被災者には、「10年を超えて、たゆまぬ支援をし続けよう !」と、山の力は呼びかける。

フクシマに対しては、「国と、東京電力をはじめとする電力各社に、徹底した責任をとり、全面的な補償を、半永久的に継続するとともに、NO MORE FUKUSHIMA ! をスローガンに、世界中の原発の廃絶を求めよう !」と、山の力は呼びかける。

そのためには、私たち自身の、「原発の要らない暮らしをする !」ことがスタートになる。