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で、小学一年生となった日本人は、やがて「天孫降臨」という一大事を救わることになる。
高天原にまします天照大神は、御自身の血すじの神をして豊葦原の瑞穂の国を治めさせようと思し召され、出雲へ使者を向け給うたがいせん、下界は余程住み心地が良いとみえて誰も復命しない、往きっ放しである。十年経っても天に帰り来ない。十年間も復命しなかったとは、まだ後継の神が稚かったので、使者は暢気に下界を楽しんでいたのかも知れない。
御相談の末、三度目の使者として二柱の神々が、出雲の伊那佐の小浜に天降りまして、大国主命に対し、此の国を天の神に譲る心は如何にと問い給うた。
地図をなぞってみれば、稲佐の浜とある。否か、さもありなんか、なら「否然の浜」が底意にあるのかも知れない。
大国主命は、稲を栽培する農耕民俗の長であったと思われる。早速、息子の二柱の神に意見を問い給う。古事記は此処のところを、「八重事代主の神を徴し来て問い給う時に、その父の大神に語りて、『かしこし、この国は天つ神の御子に献り給え』といひて、その船を踏み傾けて、天の逆手を青柴垣にうち成して隠りたまひき」とある。
御自分の乗っている船を、我から踏み傾けてしまわれてはもう沈没するしかない。と思ってはいけなかったかしら。
もう一人の建御名方神は、使者との力競べに負けて逃げに逃げ、洲羽の海(諏訪の湖)迄も逃げて行かれたものの、殺されようとした時、「此の地を除きては他の処に行かじ」と申されたとか。それで赦されて諏訪大社ということになる。
ここに至り大黒様は、無力を覚りあっさり国を譲ってしまわれた。「八十熊手に隠りて侍はむ」と申された代償が、かの出雲大社とは悲しい。神世の昔から、平和な農民は無力だ。大社の奥で、心底そっぽを向いておられるかも知れぬ。神武系は弓矢を持った騎馬集団かもしれないと思うから、髙天原は天ではない。
然し、どちらも日本の大切な御先祖様であらせられるから、我らは言を挿めない。どっちの肩をも担げませんよ。
歴史は情報と一緒で、八方から調べないと真実は掴めない。だが、十方から噛んでみたとて、何時の世も権力を持つ方が書き改めてしまうから難しい。
それに神話は「天の逆手を」などといろんな方面の知識が必要となってくるから、私のような素人などでは到底読みこなせない。
天から降りましたか、はたまた海の向こうから現れましたのか、大きな集団が高い山の上からハテサテと見下して、豊かそうな集落を見つけ手中に収めたという話が有っても良いか。
日本人だから古事記をすいすいと読んでみたいと思うが、日本人のくせしてこれが大変なことだ。でも楽しい。神話の譬喩との知恵くらべである。