やりたい事やらねばならぬ事で、年中、退屈している暇が無い。とはいうものの、季節がめぐる折り折りに、昔と呼べる程遠くなった子供時代の思い出は、今もチラリと心をほころばせてくれる。
その一つに、亥の子の祝い餅がある。
古くは玄猪(げんちょ)といい、朝廷や武家の行事であったというが、陰暦の十月、亥の日、亥の刻に餅を食べると、万病を除くとの言い伝えがあり、餅を搗いて祝ったという。猪の多産と頑健に、あやかる為ともいわれている。
この日から、炉をひらく地方や、田の神の去る日と信じて、収穫祭を祝う地方もあるという。
私の古里では、その日は餅を搗く。夜になると男の子たちは勢揃いして、一箇の丸長い大石を、かずらや縄で絡め上げ、町内の家々を廻りそれぞれの子が、その一端を掴んで、歌いながら地搗きをした。
とっすん、とっすんの地ひびきと歌声が近くなると、私ら女の子は、そわそわと待ちかねて、様子を見に外へ出たりもする。
そんな姿を母たちは、新しく縫い上げた炬燵布団に膝を入れ、笑って眺めていた。
そこへ、やって来た男の子達は力一杯、それぞれの縄の端を握り締め引きしぼると、大きな石は面白い程跳び上がる。唄も精一杯声を張り上げる。
亥の子 亥の子
亥の子餅搗いて 祝わんものは
一に俵踏まえて
二にニッコリ笑わんしょ
三に盃さし合うて
四ツ世の中よいように
五ツいつものごとくなれ
六ツ無病息災に
七ツ何ごと無いように
八ツ屋敷を建て並べ
九ツ小倉を建て並べ
十でとうとう治めた
この家繁盛せい
もひとつ おまけに
繁盛せい
と唄い上げ地搗き終えると、年長のひとりが前に出て餅とおひねりを受けとり、次の家に移ってゆく。
そこでまた、とっすん、とっすんの音と、賑やかな歌声になってゆく。もはや半世紀も前の話である。
本年は、十一月五日が亥の日であった。この山里では亥の子は話題にならないが、その頃に山の講を行なう。
数戸が寄り合って五平餅や甘酒を作り、山の神の祠にお供えして、山仕事の無事を祈り、また感謝の心を捧げている。
祖先からのしきたりが大切に思えてくるのは、自分が年をとった為と多少くすぐったい心地がする。
それにしても、民話のくにのささやかな行事を、次の世代に引き継がせたいと思うにつけ、村に子供のなんと少なくなったことよと惜しまれる昨今である。