海で泳いでいる生物であっても、その成りたちが異なれば、それを構成する内部器官も、ずいぶんと違ったものになります。魚とクジラは、ともに海に泳ぐ生き物です。にもかかわらず魚は魚類で、クジラは哺乳類です。陸に棲んでいたはずの哺乳類が、なぜ海にいるのでしょうか。不思議に思う方もいらっしゃることでしょう。
生き物の創成期、水の中で進化をしていた動物の一部は、そののち陸に上がり、陸棲みの生活を始めました。その時には水に適応していた体のデザイン(構成とその内部器官)は、空気のある陸上に適応をしていきました。そして今から6000万年前、陸に空に、さらに海にも勢力をもっていた恐竜たちが滅び、クジラをはじめとする一部分の動物は餌をもとめ、海へと再び戻っていきました。そうなると体のデザインも、以前の魚類同様になるかというとそうではなく、既にあるデザインを生かしつつ水に適応するといった、リニューアル的進化とをとげることになるのです。
解剖学の研究者である岩堀修明(いわほりのぶはる)先生は、その著書『感覚器の進化』 注1)の中で、特にクジラのリニューアル的進化について、非常に興味深く述べています。さてその一部分の要約を交えながら、クジラの視覚と聴覚について、お話いたしましょう。
クジラの祖先は、海岸の浅瀬で魚や貝を取っていたメソニクスという哺乳類で、陸棲みの四足動物だったと言います。このメソニソス類は、ウシ・ヒツジといった偶蹄類 注2)や、カバの祖先などと近い関係にあったというのです。そのメソニソスから派生した四足動物の体のデザインは、足部の貧弱なイノシシのような体形から、のちには、ワニの体のようなデザインに、変化していきます。彼らは、海岸近くで魚や貝を餌としながら、より多くの餌を求めて、再び海にもどっていったというのです。いったん哺乳類になりそののち、海に棲むようになったからといって、感覚器や内臓の働きが、魚類にもどるということはなかったのです。このことについて岩堀先生は「進化の過程でいったん退化消滅してしまった器官は、二度と復旧することはない。これは進化の鉄則であり「進化不化逆の法則」(ドロの法則)」と述べています。つまり空気中で生活していたクジラの先祖のメソニクスやそののち、本格的に海で生活をしだしたクジラ類は、魚とは異なる方法で、海の環境に適応していったようです。
クジラの体には魚の鱗の様なものはなく、さりとて哺乳類だからといって体毛もなく(一部の視覚を失ったクジラの種では体毛を触覚とします)、より抵抗の少ない皮膚に覆われています。哺乳類の特徴そのままに、胎児は母体内で養分をうけ、ある程度発達をしたのち生まれ出るという胎生で、生まれた後は、母クジラは子クジラを母乳で育てます。体温は一定で、肺呼吸です。肺呼吸がゆえに、クジラは海面に浮上し「潮吹き」と言われる呼吸をし、そのあと15分ほどを無呼吸で潜水しています。その潮吹きの時に、肺の中の80-90%の空気を、一度に交換してしまうのです。ちなみに私たち陸棲みの生き物では、一回の呼吸の喚気量は10-20%と言われています。クジラは15分ごとに海面へ、頭頂部にある外鼻孔を出し、呼吸をしなくてはなりませんから、どうもクジラは、あまり深くは潜れないということになります。
【クジラの視覚】
クジラの全身にわたりリニューアル的進化はみられるのですが、ここでは特に視覚と聴覚の関係をみてみましょう。魚類の視覚器には水の摩擦や水圧、さらに海水に耐えるシステムがあるのですが、クジラの場合はどうでしょう。クジラの眼球位置は後方へ下がり、水の抵抗がより少ないよう、周囲より陥没したデザインになっています。角膜の表面は丈夫になり、また眼球は小さく、眼球全体を包む組織がクッションのように厚くなり、水深変化による水圧への対応ができるようになっています。加えて眼球にかかる水圧に、もう一つ工夫を施しています。内部を満たす硝子体の比重も、海水の比重と同様になっているのです。さらに眼球の表面は常に脂肪で多い、塩水から眼球を守っています。
クジラは海中の少ない光量でも視覚を使えるように、反射膜を新たに発達させました。そのことにより光が弱いところでも、ある程度視力を得ることができます。反射膜があるために、薄暗い海中でクジラに会うと、目が青く光って見えると言います。これはウシ・ヒツジの偶蹄類の一部にも同様なことがあります。クジラの反射膜の主成分はコラーゲンですが、みなさんの身近なイヌ・ネコの反射膜の主成分はグアニンで、こちらは黄色く光って見えます。
クジラの眼球の向きは、少し下向きで、下方には広い視野があり、その下方の視野の中の、前方の下側にのみ両眼視野をもっていますから、立体視ができる可能性はあるかもしれませんが、後述するように色覚があまり発達していませんから、そのために完全な三次元といった立体視とは、若干異なった見え方かもしれません。側方部分は単眼視ですから二次元的な見え方ではないでしょうか。
またクジラは頭と胴が一体化している上に、眼筋が充分ではなく、眼球だけを動かすことができません。上方を見る際には、大げさに体の前部分を持ちあげなければなりません。つまり両眼視はほとんどなく、クジラの小型種のイルカなどは、その先に長いくちばしがあることで、前方の狭い両眼視野部分も盲点になってしまうのです。イルカは器用に水中と空気中との両方で、焦点合わせができることを、みなさんはご存知でしょう。水族館でのイルカショウーで、空中に投げられたビニールボールを、とらえるイルカの視覚は、そのことを証明しています。
【クジラの色覚】
さて次にクジラの色覚のお話に移りましょう。もともと海に生息していた魚類の色覚は、サケなどは3色覚(青・緑・赤)ですが、キンギョの様な淡水魚は4色覚(紫外線・青・緑・赤)といわれています。多くの海にすむ生物の、特に幼魚は、紫外線に対しての反応があるといいます。ちなみに紫外線への反応は、魚だけではなくマウスや、ラット、ハトにもみられるようです。ヒトを含む哺乳類の一部は紫外線を見ることができません。たとえば紫外線を受け入れる細胞があったとしても、角膜や水晶体レンズ、硝子体などが、ほぼ100%の紫外線を吸収してしまうため、紫外線がその奥の細胞にまで届かない状況になるのです。一方淡水魚の角膜や水晶体は紫外線を通すのですが、こんどは水に紫外線が吸収されてしまうのです。よって浅い水面近くといった限定された場所でのみ、魚類は紫外線による視覚を用いていると思われます。 注3)
さらに網膜には、明るいところで作動する錐体と、暗いところで作動する桿体があり、ヒトの場合では、中心に錐体があり、その周辺部に桿体が分布しています。クジラは潜水時間が短く、あまり深くは潜れない淡水魚に似た状況にもかかわらず、クジラの網膜は、桿体部分が多くみられ、色への感度は低いことがうかがわれます。クジラの祖先のメソニソスと近い関係といわれているウシ・ヒツジの祖先ということから類推してみても、偶蹄類の色覚は2色覚(紫・緑)で、やはりこちらも色への感度は、ぱっとしません。中にはカワイルカのように、濁った河川に生息したがゆえに、視覚系が退化し、明暗の識別程度しかできない種もいます。しかしそれでもカワイルカは、ぶつかることなく泳ぐことができるのです。このクジラ類の視覚の弱さを補っているものとは、実は聴覚なのです。
【クジラの聴覚優位性】
陸棲みから海棲みへの変化で、水の抵抗になる耳介はなくなり、水の浸入を防ぐために耳の穴は小さくなりましたが、その結果外部からの音波を取り入れることは、難しくなりました。そこであまり用をなさなくなった下顎の骨を使い、音の振動を、頭蓋骨を変化させてつくった耳骨まで伝えています。耳骨の中にある中耳から奥は、哺乳類と同様です。オトガイ孔から中耳までの下顎骨の周囲は多くの脂肪があるため、音は増幅されていきます。音波は比重の小さな物質から比重の大きな物質に伝わる時には、弱められ、またその逆は強められますから、比重の軽い海水から比重の重い脂肪への移行は、音波が強まり、よく伝えることができるのです。
【クジラの発声】
クジラは非常に広い音域で、音声を発しています。もともと陸棲みの生き物では、呼吸に絡めて音声を出しますが、水の中ではそうもいきませんし、ましてや呼吸をするときだけとなると、潮吹きの時だけのことになってしまいます。クジラの発声法は、空気を外に出さない方法が用いられ、声帯は消失しています。潮吹きの時に吸い込んだ空気を、「気のう」と言われる鼻道に配されたいくつもの空気袋に入れます。さらに気のうから肺に向かって空気をおくるのですが、この時に、気のうに付いた弁が振動し、それが脂肪をまた振動させて音波となり、水中へ送られると云うのです。
イルカは気のうの弁を振動させて発生させたクリック音(扉をきしませるように聞こえる短い断続音)を、額にある「メロン」という脂肪組織を介して発射するといいます。この「メロン」を覆ってしまうと遊泳能力や餌を探すといった行動が難しくなることから、音波を一定方向に送り出すレンズの役割があると考えることができるのだそうです。クリック音の反響を聞くことで、クジラ類は、周囲にあるものの大きさ、形、表面の状態、さらに対象物の動きまでをも分かるといいます。これはヒトの後頭部にある視覚野と同じ働きをしているようです。優位な聴覚を使い、視覚の不備な部分をカバーしていることになるのです。ちなみに全く視力を失っている人が、初めての空間へ行った時には、自分の靴や杖の響く音により、大方の空間の広さが分かると言います。この場合も響きを聴覚から入力してのことです。
海に生きる生き物においても、種の特性として、聴覚優位とそれにまつわる視覚の不全が、表現されています。同じ海に泳ぐ生き物の中にも、実は様々に「違い」があることに、気付くことができます。
(おかみなみ / 認知デザイン)
注1) 岩堀修明(いわほりのぶはる)
『図解・感覚器の進化 ―原始動物からヒトへ 水中から陸上へ』講談社、2011
生き物の感覚器について、進化上の成り立ちから解説され、興味深い具体例も多く、生き物の、行動にまつわる感覚器の機能を含めたデザインの意味を、理解することが楽しくなる一冊です。
注2) 偶蹄類:哺乳類の一目。ウシ目。イノシシ、カバ、ラクダ、シカ、キリン、ウシなどを含み、オーストラリア区域以外の全世界に分布しています。四肢の第一指(親指は退化し、第二指・第五指も退化の傾向で、体重を第三指と第四指で支えています。原始的な種類は牙を、進化した種類では角を持っています。多くは草食性で、胃が複雑になり、反芻をします。
注3) 江口英輔(えぐちえいすけ)『視覚生理学の基礎―視覚生理学の立場から』
内田老鶴圃、2004、P147-149
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- 岡南著『天才と発達障害―映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル』(講談社、2010)
視覚優位・聴覚優位といった誰にでもある認知の偏りを生かし「個人が幸せになるために」書かれた本です。読字障害(ディスレクシア)でありながら、視覚を生かし4次元思考するガウディ。聴覚を生かし児童文学の草分けでありながら、吃音障害、人の顔や表情を見ることができない相貌失認のルイス・キャロル。個人の認知特徴を生かし「やりがい」をもって生きることについて考える本です。
- 杉山登志郎・岡南・小倉正義著『ギフテッド―天才を育てる』(学研教育出版、2009)
能力の谷と峰を持つ子どもたちは、認知特性の配慮と適切な教育により、その才能を開花させることができます。ギフテッドの教育の在り方、才能の見つけ方や伸ばし方を解説し、一人ひとりのニーズにこたえる特別支援教育の在り方を提示しています。どの子どもの特性を伸ばす為にも、ヒントになることでしょう。
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