2011年8月6日 ヒロシマから66年を生き延びた者からのメッセージ

だんだん死に絶えて、残り少なくなったヒロシマの生き残りの、ひとりです。

2011年08月6日になりました。
あと何時間かで、66年目の、あの0815時が来ます。

あの日は、雲ひとつない青空の、暑い朝でした。
突然、ピッカーッと来て、もの凄い音とも振動とも言いようのない瞬間があり、耐えられないほど熱い爆風とともに、世の中は真っ暗になり、地獄が始まりました。
影だけを残して、燃え尽きたヒトがいました。
瞬時に、ヒトは炭になりました。
眼球が飛び出て、ぶら下がったまま、ヒトが何人も歩いていました。

これが、人間が、人間に対してした仕打ちです。

爆心地の直下で、勤労動員のため工場にいたはずの、中学1年生の兄(と言っても、母の弟ですが)が帰ってこないので、それから3日間、私はひとりでとことこ歩いて、朝から晩まで、爆心地付近を探し回りました。
そこら中のものを、ひっくり返して探しました。もちろん死体も。
裂けた水道管からあふれる水を、がぶがぶ飲みました。
もしそこに食べものが転がっていれば、躊躇なく食べたことでしょう。

後に、原爆の被害調査のために、広島に駐留していた米軍の医師から、ふつうなら10回でも何十回でも死ねる被曝線量で、生きているのが奇跡だと言われ続けました。

今年は、フクシマがあって、特別な8月6日になりました。
私たちが、「核」とどうつき合うかを、深く考えさせられる日になりました。
私たちは、0815時に黙祷しながら、祈るだけでなく、否応なく考えることになりそうです。

原子力発電が、平常時にしかコントロールできないものであることは、今回誰にでもよくわかりました。
制御不能になった原子力発電所が、原爆より始末に終えないものであることも、よくわかりました。

はたして、核の平和利用というものがありうるのでしょうか。
もしかすると、放射線治療やアイソトープ治療なども、生体の悪玉細胞を狙い撃ちにする手法そのものが、一個の生物種にすぎないヒトに、許されていないものなのかもしれないと思います。

私たちが到達した技術水準などというものは、私たちの想像力の範囲の中でだけ、機能し、コントロールできるにすぎないと、私は考えるようになりました。
自然界の不思議に比べれば、人為など、何ほどのものだろうかと、つくづく思います。

自然をコントロールしようとする愚かさを、フクシマは、笑い飛ばして見せたような気がします。

世界中のこどもたちの未来と希望のために、黙祷し、祈りながら、みんなで考え、行動しましょう。

下のURLから、エイミー・グッドマンさんの「ヒロシマからフクシマへ 日本の原子力の悲劇」と題された論文を、ぜひ読んでみてください。

http://democracynow.jp/staff/110802
ヒロシマからフクシマへ:日本の原子力の悲劇 エイミー・グッドマン