地震列島日本を襲った、東日本大地震と大津波は、それ自体が想像もできないほどの災害をもたらしました。急がれる復興も、まだほとんど手つかずのままです。
みんなの夢は、現実に打ち砕かれ、希望は絶望に変わりました。
それに加えて、プレート東端に建設を予定していながら、近代科学技術の粋の結晶が、地震と津波を克服して、人類の永遠の夢を実現するとの「安全神話」に支えられてきた福島原発の、あっけないほどの崩壊が、経済と欲望のために積み重ねた、あらゆるウソやごまかし、欺瞞や隠蔽を洗い出してしまいました。
21世紀の現代社会が、いくらエネルギーを必要とするとしても、「絶対安全な原発」など存在しないことがはっきりした今、私たちが、「安全な原発」の創出に向かうのか、人類の手を触れてはならない領域から手を引くのか、が私たちひとりひとりに鋭く問いかけられていると、言わなければなりません。
私たちは、地球上に存在している生命や物質の恵みに生き、生かされてきました。
それでは満足しないひとびとの欲望が、自分たちだけに都合のいい、新しい生命の創造に向かい、現存しない物質の創出に向かいました。
原子核分裂や原子核融合、遺伝子組み換えのような遺伝子操作などが、その代表的な一例です。
今回の原発事故は、実は、エネルギー源として、原発を持つかどうかは、私たちのライフスタイルや生き方を、ダイレクトに問う問題だったことをあぶり出しました。
口では原発を批判したり、非難しながら、実際には原発がなければできない、明るすぎるほど明るい快適そのものの暮らしをしたり、原発があるからこその、電気エネルギーのかたまりのような工業製品を、エコ商品と呼んで、積極的に生活に取り入れたりするのは、実は、原発推進を容認し、加担していることを知らなければなりません。
福島原発の被害者のみなさんの苦しみは、東日本大震災の被災者の苦しみに加えて、放射能被曝による健康上の心配だけでなく、暮らしの拠点を失った上に、自分たちで自分たちの未来を展望し、築き上げることを禁止されることによって、全ての希望を失わせたという意味で、これまで誰も経験したことがないほど辛いものになりました。
ドイツ政府は、事故発生以来、ドイツ国内にある17基の原発をどうするかについて、この数週間、緊急で重大な決定をするために努力してきました。その結果全ての原発を廃止することを決めました。
科学技術的には、ありえないと思い込んできた事故が、あり得ることが、福島の経験でわかったからです。
そしてその事故の結果、多くの人命や健康が損なわれ、失われたあまりにも大きな代償は、社会全体が負わなくてはならないことがならず、その代償の大きさに比べれば、
原発がない「不便さ」など、物の数ではないと判断したのです。
当然の、健全な判断だと思います。
そうです。
「原発の要らない暮らし」は、そんなに難しいことではありません。
ほんのすこしばかりの、「がまん」と「節制」と「節約」があれば足りそうです。
まずは何はともあれ、みなさんの毎日の暮らしを見つめてみてください。
生活のメタボリックシンドローム現象は、発生していませんか。
大して使いもしない電器製品や器具が、それでも一人前に、コンセントにつながったままになっていたりしませんか。いつも電源が入っていたりしませんか。
トイレや浴室、玄関やクロゼット、台所や廊下、家中の電灯が点いていたりしませんか。
誰も見ていないテレビが、誰もいない部屋で、何か喋っていたり、笑っていたりしませんか。
水道の蛇口をいっぱいに開けて、流しっぱなしにする習慣が、いつの間にか身についていませんか。
トイレの紙や水の使い方を、気にかけたこともない毎日になっていたりしませんか。
一度試しに、総点検してみてください。
きっとあれこれと見つかります。
見つかったら実行してみましょう。
一ヵ月後の電気使用量、水道やガスの使用量を、前月までと見比べてみてください。
ちょっと気をつけただけで、もう10%くらいは節約しているはずです。
場合によったら、20%近い家庭もあるかもしれません。
そうなんです。それくらい私たちは、無関心で、無神経になっています。
ここまでは、必要のないもの、知らず知らずのうちに、無駄してきたものの発見と抽出でした。
ここからは少しばかり意識しなければなりません。
次の総点検は、自分たちのライフスタイルそのものに関わってきます。
日常あたりまえになっていたことへの、見直しです。
もしかすると、価値観や、意識や気持ちの持ちかたに、いくらか転換が必要になるかもしれないという場合もあるでしょう。
食事や入浴などといった日常の暮らしの中にも、それは潜んでいます。
今は個の時代(ひょっとすると、孤の時代かもしれませんが)と言われます。
家庭の中でも、家族がばらばらに、好きなときに、好きなものを食べるという家も増えています。何度も温めなおしたり、そのつど調理したり、です。
食洗機が、ほんの少しばかりの皿や茶碗のために、何度も稼動したり、そのたびにお湯や水を大量に使います。ガスも電気もです。
お風呂に入るとなれば、もっとばらばらです。家族の分だけ、それぞれの好みのシャンプーや洗剤が並ぶ浴室に、沸かしなおしたり、追い炊きしたり、中には、ひとりひとりお湯を張りなおす、ホテルのような暮らしも、都会では増えているそうです。
そんなバカな、という人も読者の中には多いはずです。
それでもいつの間にか、それに近い生活になっていたりしませんか。
テレビが何台もありませんか。ドライヤーが5分も10分も、うなり声を上げたりしていませんか。冷蔵庫の温度を「強」にして、目いっぱい詰め込んだり、何か取り出すのに1分も開けていたりしませんか。
暮らしのメタボリックシンドロームを解消して、見た目にもカッコよく、すっきりスリムにすることが、今はトレンドです。カッコいいのです。
ここまで書いてきたことで、思い当たることがあったら、実行してみてください。
これが「原発の要らない暮らし」の第一歩です。
自分たちの暮らしの中に潜んでいる「原発」を探せ !!
これが「山の力」の指令第一号です。
さぁ 始めましょう。
Let’s try it !!
You can do it !!