なぜ1月に南三陸歌津に4回も通うことになったのか・・・・
この話はちょうど1年前の2月9日に始まりました。
「明日は我が身の桜ライン」で三陸地域に通ううちに海岸線の再生がどうも望まない方向に進むのを憂慮して、桜ラインとしてはどう関われるだろうかと模索していました。
そんな折、東京で「自然保護協会」主催の「海と共に生きる~日本の海岸は今~」というシンポジウムに事務局黒田2名で参加しました。各地の取り組みや現状がいろいろと紹介されて、会は盛況のうちに終ろうとしたとき、後ろの方にいた女性が手をあげて、意見を述べられました。
この時の発言内容はその日参加した甲斐があったと思えるほど的確で希望に満ちた意見でした。これが、今わたしたちが絶大な信頼を寄せる清野聡子さんとの出会いでした。
11月12日に、やはり東京の大学キャンパスの日本土木学会主催の防潮堤を巡るセミナーで清野さんがパネラーのひとりというのでまた出かけて行きました。ここでもピカイチの存在!
そしてついに、2014年1月4日にお忙しい清野さんにゆっくりとお目にかかる機会を得たのでした。
南三陸馬場中山の浜の再生になんとか力を貸していただきたい!!!!!
ちょうど1月18日に気仙沼市小泉で勉強会に出られるのでその翌日帰り道に寄ってくださることになりました。
17日夜仙台空港にお迎えして南三陸に向いました。
18日小泉に向う朝、時間の合間をぬってさっそく中山の浜へ
昨夜から合流した清野さんの協力者の滝澤さんも一緒です 滝澤さんはお忙しい清野さん
にかわって、浜の若いひとたちに大変的確に恊働してくださっています。
清野さんはすぐに浜で働いている人にはなしかけて、みごとなフィールドワークの達人ぶり!
浜にある「カフェかなっぺ」には声がけした若い漁師さんが話をしにやってきました。
こちらは小泉の勉強会です。100人以上の人びとが集まり、巨大防潮堤への関心の深さがわかります。
オモイを同じくする人々とのネットワークが広がっています!
この美しいリアスの海こそ未来に残さなくてはならない宝です 田束山山頂より
いつまでも豊かな中山の海でありますよう!
馬場中山の反対側の泊り浜、長須賀の海水浴場です。ここも防潮堤計画がありますが市民の皆さんが再考を願っています。
1月19日
清野さんが中山の漁師さんの作業場に到着
国の決めた?海岸の復旧復興計画はもしかしてもっと自分達の納得のいく形にしていけるのか・・・
漁師さんたちの表情は清野さんの力強いアドバイスのもとだんだん生き生きとしてきました。
事務局黒田もみなさんを励まします。
超過密スケジュールにもかかわらず、しっかりとお話をしていただき、清野さんの中山来訪によってどうやらみなさんのなかにファイトが湧いてきたようです!
その夜は遅くまで皆さんで意見交換が続きました。本当に実りある、希望の火のともった一日となりました。
その2へ続く