若さとは良いもので何があろうとも楽しいことを見つける。親許を遠く離れて三人一部屋の生活はとても仲良くなってしまう。たまに家から送られてくる食糧も、三人で平等に分け大切に食べた。
毎日の行動が一日毎に手際良くなってゆく、少女として成長する時期であったのも良かった。毎日「死」と直面していたことも。
嫌な事はアメリカ爆撃機の空襲で、一晩に二度、三度と起こされ防空壕へ入らねばならぬようになり、連日の労働に疲れている私達にとりこれは難儀であった。体の小さい私は大きな旋盤に神経を使うので、夜になると疲れきっていた。
空襲慣れしてからは押入にかくれることにした。真暗な廊下を駈けめぐり「誰か残ってはおらんか」と各室をあけて叫びまくる先生には申訳ないが、眠気には勝てなかった。押入にかくれて息を殺していると先生の声は順々に遠ざかる。そうして私は眠りこけた、もう死ぬことなど一寸も怖くはなくただ眠りたかった。
防空壕は宿舎から少し距離があった、真っ暗なそこでも先生は必死に点呼をとって下さる。それで、呼ばれた生徒がすぐ返事をしないと、暗いのを幸いに誰かが気をきかして代返してくれる。度び重なるとバレれしまい、先生にしっかり叱られた。
生徒の命を預かる先生の責任は重く、夜は碌々眠られず、御心労は大変なものであったのにと今更申訳なく思う。