千年に一度の大災害には、1000年後の暮らしを見据えた対処と対応が、必要なのかもしれない
見渡す限りの荒野が広がり、所有者があり勝手に処分できない形骸となった自動車が、そこここに見える。時に、小型漁船があったり、農機具の残骸が転がっている。
金属部分が真っ赤に錆び始めていて、7ヶ月の歳月を感じる。
あれだけあった瓦礫は、大分撤去が進んで、震災当時の、あの生々しさと、あの鼻をつく匂いは、消えかけている。
日本で有数の穀倉地帯に、実りの秋は来なかった。
それでも、かけらほどにせよ、新しい発見があった。
海水と海砂と瓦礫に、滅茶苦茶にされた荒野の中に、異種の光景があった。
瓦礫に囲まれた小さな畑、青々と育ったダイコンなどの秋冬野菜。
そこだけが以前と同じ田んぼの、刈入れ直後の稲の株の列。
畦や水路を作り直そうとしている人たちの、軽トラックの群れ。
ささやかでも、部分的でも、ひとびとは動き出している。
1ヵ月前に比べたら、人の姿が見え、人の動きが感じられる。
そしてもうひとつの大きな発見は、地盤沈下して、海水が溜まったままの水田群の広大な拡がりが、バードサンクチュアリになっていたことだった。
人の姿が近くにないこととも重なって、水鳥たちの天国になっている。
生き物の存在を、身近に感じられるというのは、ひとの気持ちをここまで高め、安らぎを与えるものかと、あらためて思い知った。
同時に、「そうか、ここはもともとそういう湿原だったんだ。今ここに葦が生えはじめているように、もとはそういう場所だった。川が氾濫すれば、遊水地となり、津波や高潮がくれば、被害を最低限に食い止める、自然の防潮原だった。」とも思い至った。
これは、千年に一度の大災害に対する、私たちの対処のしかたを示唆する、重要な発見かもしれない。
川が氾濫して、しばしば水路が変わってきたように、海もまた、津波や高潮で海岸線や氾濫原や遊水原を変化させて来たのではないか。
そして人々も、その変化に適応し、順応しながら、次の千年の暮らしを築いたのではなかったか、と感じた。
近代の工業世界が築き上げてきた、コンクリートと鉄で、自然を固定しようという考え方そのものが、今、厳しく問われているのではないだろうか。
田んぼの真ん中に、巨大なコンクリートの防潮堤の塊りが転がる荒涼とした風景の中の、鳥たちの平和な生命の営みは、不思議ではあるが、とても自然なものに感じられた。
津波に家財道具の全てを流されて廃屋となり、吹き込む風に、引きちぎられたカーテンがはためき揺れるのを見るのは、何回見ても辛い。
そのすぐ近くの家では、波に突き破られた壁を補修し、屋直しして、新しいアルミサッシュを入れている風景もある。
また今回目立ったのは、壊滅した被災地の元の場所に、新築された住宅だった。
行政が、住宅再建予定地の計画を示しきれないまま、以前建っていた場所に自宅を新築したのが目立った。
どれもこれも3ヶ月で完成するプレファブ住宅ばかりで、心が痛むが、家も何もかも失い、避難所や仮設住宅で、厳しい東北の冬を迎えることを思えば、プレファブ住宅であろうとなんであろうと、我が家が嬉しいに決まっている。
阪神淡路大震災の後、神戸や芦屋の高級住宅街にプレファブ住宅が林立していった光景を、いま再びここで見ることになるであろうことは、容易に想像できる。