認知の偏りは誰にでもあります。高齢でしかも認知症でありながら、その偏りを生かし、支援をされながらも、意欲的な日々を送っているある老人の姿をご紹介いたしましょう。
【春さんの認知症】
84歳の女性(仮名)春さんは、脳血管性の認知症のため2年前から介護付き老人ホームで、暮らしています。春さんの夫はサラリーマンで既に20年前に亡くなり、その後は一人で生活をしてきました。4年ほど前から記憶が部分的に全くなくなるといういわゆる「まだらぼけ」状態に周囲が気づき、また本人もそのことで不安を言うようになり、離れて暮らす子ども家族の近くの介護付き有料老人ホームに入所することになりました。その頃の春さんは、電話口で同じことを同じ表現で、何回も言うといった状態でした。しかし初対面の人にはその場のその場の会話では、それなりに対応ができ、例えば外出先で親切にされれば、非常に丁寧に「あら、どうもありがとうございます。」などと礼節をわきまえた態度や会話ができていました。家族と一緒にウィンドショッピングにでかけても、お店の人との会話程度なら、認知症であることは、全く気がつかれないと言います。しかし多くの認知症の場合と同様、ホームに入る前は、家族の誰かが、春さんの大切な権利書などを持って行ってしまったというので、警察を呼んだり、また家族が心配して一人住まいの春さんを時々訪れても、民政委員には、今まで家族は全く訪ねてきてくれないと訴え、それを真に受けた民生委員が、遠方に住む家族に意見をするなど、春さんの言動が周囲をかき回せ、問題となることがあったのです。また新聞で見た通販のサプリメントを申し込んでも、そのこと自体を全く覚えていませんから、品物が届いても「だれがこんなものを頼んだのかしらー。」などといった調子です。認知症の方によく見られることですが、冷蔵庫には同じ食品が常にぎっしり詰め込まれ、常に同じ食事をしていた様です。春さんは以前からテレビなどで言われる健康情報などをよく実践していましたが、どうもそれは自分の全体の健康バランスを考えるより、情報の一つひとつを実践することが、目的のようになりがちでした。例えば一頃言われていた「卵の黄身はコレステロールが多く老人には良くない」とか、今は青み魚の脂が見直されていますが、春さんの頭の中では、「肉や魚などの脂があるもはよくない」となり、脂分の少ないと思えるアジのひらきが、冷凍庫にひしめくことになってしまうのです。家庭医から投薬されていても、「薬を飲んでいる」と言いつつ、実際は飲み忘れたり、どこかへ置き忘れたり、連日投薬のために不自然な通院をしたことから、家庭医も気づき何くれとなく相談を受けていた様です。それでも春さんは、足腰は元気で、買い物の時もほぼそれらしい金額を、お財布からだせるため、認知症であることに周囲がなかなか気づかなかったといいます。
【聴覚優位の特徴】
認知の特徴として主に視覚を使い記憶・理解・処理を行う視覚優位と、聴覚からの情報(声や言葉)や書かれた文章からの記憶・理解・処理が得意な聴覚優位とに大まかに分けて考えてみますと、春さんは、明らかな聴覚優位のタイプになります。
聴覚優位な人の特徴は、聴覚からの言葉や音楽、また言語として書かれたものを記憶することが得意ですから、語学などの踏襲性を必要とすることに興味を持ちます。もちろん学校では、先生が言葉で語ることを聴覚から入れ、その理解度も言語で表現しますから、必然的に聴覚優位の人は、成績もよくなりがちです。しかしその反面偏りの強い人は、視覚的な不全も併せ持ちますから、色彩の全般が必ずしもバランスよく見えているわけではないことや、明暗の拾いが粗いこともあり、立体視に問題が生じ、奥行き感をつかめず二次元に近い状態で世の中を認知しています。また人の顔の認知が悪い相貌失認の場合も多く、人の表情が見分けられずに、感情の読み間違えをします。よって冗談や比喩が通じない事にもなります。視覚的な変化や感情を読み取れないことで、人に対しては、書かれている肩書きや序列に重きをおき、中には「一番病」と言われているような、とにかく何にでも一番でなければ気が済まないという幼児性をもったまま成長してしまう場合があります。つまりは世の中の人々の本当に思いや感じている部分が見えずに、順位や数値といった表面的な評価でしかないものに固執してしまう場合が多く見られます。判断をする時には、無意識のうちに「規則」や「情報」にたよることになり、時にはそれらに振り回されてしまうことにもなります。テレビからの声が耳元に残ることから、家族はみな地方の方言で話すにもかかわらず、聴覚優位の際だつ人は、家族の中でひとりだけ標準語で話す、と言った妙な特徴も見られます。当然不文律などというものの存在を知る由もありませんから、社会性という点において、周囲から疑問を持たれてしまうことも多々生じてきます。聴覚優位に偏る人の多くは、味覚や触覚の優位性も伴う場合が多くあります。
【春さんの場合】
この春さんの聴覚優位的な面として、学校の勉強は大好きだった半面、いじめられたこともあった様です。料理好きで、味覚には自信があり、性格は生真面目で几帳面、細かいところに目がいくために、汚れが気になり、常に家の中は拭き掃除が行き届いていたと言います。地方の出身であるにも関わらず、他の兄弟とは違い、常にいつでもだれにでもきちんとした標準語で話していたと言い、もちろんそれは今も同様です。さらに冗談が全く通じないこともあり、例えば春さんが50代半ば、美容院で着付けを頼んだおり、彼女の体系は、若い人の様にウエスト周りをタオルで補正をする必要がなかったことを、担当者が冗談で「帯を巻くにはほぼ寸胴で、着物を着るには調度よい体型です」と言ったことを、真剣に怒ってしまうということもあったと言います。
さらに家族の話では、なんでも一人で決めてしまい、人の気持を聞いたり、相談をするということができず、常に自分のその時だけの気分で行動をしてしまう為に、家族が振り回されていたというのです。家族で何かを皆で話し合うなどということは、全くなかったと言います。
聴覚優位の偏りの強い春さんは、色彩の把握に問題がありました。おそらくそれは、もともとの聴覚優位の人の視覚の不全部分ではないかと考えられるのです。認知症になってからは、特に緑と紫の区別ができずに、わざわざ植えた紫色のパンジーの花を、草と一緒にもいでしまったり、また同じパターンのソックスを履くのでも、左はグレー系を、右は紺系をという具合に、指摘されて初めて違う色のものを履いていたことに気づくことが多くなりました。春さんの場合、明るい暖色系の方が、理解しやすいようです。
また春さんは、場当たり的な言動が若い時からあった様ですが、認知症になってからは、それがいっそう強くなっていきました。例えば春さんが若い時でも、AさんにはAさんに合わせてものを言い、BさんにはBさんに合わせてものを言う面があったのです。客観的に見れば、いったい春さんの本当の気持ちは、何なのでしょうかと思えることがよくあったと言います。春さんは眼の前に居る人に合わせているだけで、本音がない様に見え、また別のCさんに、AさんとBさんの悪口を言い、今度は「私の気持ちを本当に理解してくれるのはCさん、あなただけなのよ」というように頼ろうとてしまうのです。そのことは認知症が進み、一人住まいを心配した民生委員に対しても同様で、その時、目の前にいてくれる人の意識が「私だけを見てほしい」ということになってしまうらしいのです。つまり目の前にいない人は、春さんの心にも居なくなってしまうようですから、他の人がどう思うのかということにまで、思いが至らないようです。常にだれに対してもカッコ付き「良い子」をしていた様にもみうけられます。普通の人でしたなら、AさんBさんCさんの3人が集まれば、春さんは誰にとっても、結局信頼のできない人だということになるにも関わらず、どうも自分の言動の統合が図れないとでもいった様です。このようなことですから亡き夫とは、一度もけんかをしたことがなかったと言いつつ、ホームへ入った当初は、生前言えなかった夫への恨みつらみを、これでもかというほど周囲にまき散らすことになったのです。つまり夫の前では、やはり「良い子」を演じ、本音の不満をぶつけられなかった様です。
聴覚優位の人の場合、特に空間の認知(場所記憶)が非常に弱く、春さんの例では、夫との出会いなど60年も昔の部分的な記憶はまだ覚えていても、20年前まで約10年間住んだ住宅の前にいっても、その家を全く覚えていません。
子育てが一段落してからは、春さんは朗読のボランティアをしていました。今も書かれた文字を読むことは好きで、習慣的に新聞は読みますが、内容は音の表現までのところで、それ以上の理解や記憶にはなっていってはいないようです。つまり、さっき言ったこと、さっき読んだこと、さっきやったことは、ちゃんと忘れてしまいます。ただ認知症の方は、具体的な物事はとてもきれいに忘れるのですが、心の奥の方で、自分が温かく迎い入れられた時の安心感というような、形や言葉にならない「心地よさ」は、記憶に残るようです。
【認知症の認知対応】
さてこのような聴覚優位の偏りが強く、足腰丈夫な認知症の春さんに、どのような支援がおこなわれたのでしょうか。もともと聴覚優位の偏りが強い人の場合、数字が大好きだという人が多く見られます。春さんもご多分にもれず「数字好き」です。偶然に老人ホームのスタッフのアイディアで、春さんは万歩計をつけてみることになりました。もともと健康おたくでもあった春さんは、前述したように、言われたことを守ろうとする規則が大好きな面も持ち合わせています。夕食後の廊下を、春さん一人だけでもすたこら歩き、スタッフや家族とともに時々は散歩を楽しみ、一日の終わりにスタッフがカレンダーにその日の歩数を書きこむとことを思いのほか励みにしだしたのです。
さらに数字好きや規則を守ることのほかに、聴覚が優れる人は、何十年も前のメロディーや芝居の台詞なども、耳元に残り、よく覚えている人もいます。あるいはその昔、誰かに言われた言葉の断片的記憶が時に浮上し、その記憶に対して相手かまわず、無意識のうちに口だけが動く「おしゃべり」も生じる様です。さらに線優位性もある場合は、線の変形である文字の認知が良く、例えばかなり進んだ認知症の方でも文字で書いた「トイレ」などの表示は、空間認知が悪い場合でも、その行動の助けになります。ということで懐かしい歌が載っている本をプレゼントされた春さんは、メロディーは良く記憶していますから、自分で歌詞を読み、声を出して歌うことができたのです。メロディーにのせて声を出すというのは、脳も活性化され、気持ちも良くなり、老人ホームのアクティビティとしては評価が高いものです。歌うことは歌詞の言葉を忘れないということにもなります。しかしながら認知症の場合は、忘れないことを目的とするよりも、時々を心弾ませ、いかに楽しめるかということが、意欲につながる様に思われます。
聴覚優位という認知の偏りは、生まれ持っての特徴で、老化はその部分をいっそう特化させていくように思われます。苦手な空間認知の部分はそぎ落ち、場当たり的な言動は多くなります。したがって記憶に残る部分と部分を、どうにかつなごうと、嘘と思しき作話が出てくることもあるでしょう。認知の強い部分を生かし、得意なことや好きなことを通じ、健康な部分をより活性化することで、認知症の進行を遅らせることはできるのではないでしょうか。それにはまずその方の認知の偏りを知り、生かす工夫をしてみてはいかがでしょうか。
(おかみなみ / 認知デザイン)
参考:小澤 勲『認知症とは何か』岩波書店、2005
小菅もと子『忘れても、しあわせ』角川書店、1998
*写真はイメージ
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- 岡南著『天才と発達障害―映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル』(講談社、2010)
視覚優位・聴覚優位といった誰にでもある認知の偏りを生かし「個人が幸せになるために」書かれた本です。読字障害(ディスレクシア)でありながら、視覚を生かし4次元思考するガウディ。聴覚を生かし児童文学の草分けでありながら、吃音障害、人の顔や表情を見ることができない相貌失認のルイス・キャロル。個人の認知特徴を生かし「やりがい」をもって生きることについて考える本です。
- 杉山登志郎・岡南・小倉正義著『ギフテッド―天才を育てる』(学研教育出版、2009)
能力の谷と峰を持つ子どもたちは、認知特性の配慮と適切な教育により、その才能を開花させることができます。ギフテッドの教育の在り方、才能の見つけ方や伸ばし方を解説し、一人ひとりのニーズにこたえる特別支援教育の在り方を提示しています。どの子どもの特性を伸ばす為にも、ヒントになることでしょう。
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