多くの人は、自分は他の人と同じように見えているだろうと思っているのではないでしょうか。あるいは当然過ぎてそのようなことは意識もしないといったところでしょうか。ところが実際は、それぞれずいぶん異なった見え方をしている場合があります。子どもたちの絵の描き方や色の使い方は、人の見え方や認知特徴の違いを、知る手がかりとなります。
まずは子どもの一般的な色彩の認知の発達から見てみましょう。私たちの色覚は、生まれた最初から大人のように出来上がってはいません。生後1カ月から2カ月の乳児の場合、世の中の色を把握する能力はまだ成立していません。この時に乳児に目立つ色を見せても色には反応せず、むしろ線に反応をします。単純な線よりも、より複雑な線にひかれますから、乳児は、白黒の濃淡の世界に生きているといってもよいでしょう。誕生からハイハイが始まる6カ月ごろに、対象物を背景から弁別する感度が増し、自分の手のとどく範囲での認知が可能となります。つまり周囲が見えだすのです。光が色覚を育むのですが、乳児が母体外の光の世界に出て、少しずつ色を感じることができるようになるのです。生後3カ月ごろから、赤や黄色、緑や青といった純色を徐々に理解しだし、おおよそ3歳ぐらいで三色覚が成立すると言われています。さらに色の理解は鮮やかな純色から、徐々に微妙な中間色の把握へと移行します。思えば子どもの絵本の「ミッフィーちゃん」のあの単純で黒く太い縁取りと、色数を限った鮮やかな色彩は、乳児には分かりやすく描かれているということになります。そして幼稚園時代に微妙な紫や茶色といった中間色を理解しながら、立体視も小学校の2年生ぐらいまでにはできるようになるようです。見える大きさの違いで、遠近の距離感を見分けるということも、3歳では難しい子どもたちも、おおよそ6歳では見分けることができるようになります。
絵を描く能力というのは、視覚でとらえても、表現は手というプリンターの能力にゆだねられますから、描かれた絵が、そのまま見えている像にはなりません。
反対に色の把握が生まれつきほぼ完成している子どももいます。そういう子どもは、空間認知にすぐれ、見ることで思考することができますがディスレクシアといった読み書き障害を持つこともあります。「視る」という視覚一つでも、ずいぶん個人により幅があるのです。
さて今度は色の要素を簡単に考えてみましょう。色には色相(色味)・明度・彩度という三要素があります。色相とは「赤」や「緑」や「青」といった色味のことです。二番目の明度とは白から黒までの色相のない、濃淡だけのことを言います。三番目の彩度とは、鮮やかさのことを言います。海に沈む夕日が輝いてビビッドに見えるのは、彩度を感じ取れるからです。もし彩度に不全が生じていたなら、夕日は輝かず、ただのオレンジ色のべたっとした大きな丸に見えてしまいます。これでは感動はできないでしょう。
それでは描き方の特徴から、その子供の認知特徴を推し量ってみましょう。
【赤や緑が?】
まずは幼稚園児や保育園児の描く絵の中で、黄色や茶系の色の割合が多いといった、いわゆる色盲 注1)の子どもの絵の配色パターンの一例があります。「色盲」という表現は、以前は差別用語とされ、現在では「色覚異常」や「色弱」と言われていますが、それらの中には、明度のあいまいさも、彩度のあいまいさも、様々が含まれてしまいますので、ここでは「色盲」という表現を使わせていただきます。色盲には3つの型がありますが、そのうち約9割をしめるいわゆる「赤色盲」と「緑色盲」の人の見え方の特徴は、赤や緑がグレーや茶系に見えている場合が多いというものです。人によっては、赤ピーマンやカレンダーの日曜・祝日の赤い数字は、濃いグレーに、他の例では高速道路の緑の表示は茶色に見えています。しかしそれも人により、赤や緑の濃さなどでも感度が異なるようです。同じ赤色でも、紅色のワインレッドより朱色(黄味)がかった赤色は、赤色盲の方でも認知しやすいことがあるようです。また人の顔を緑がかった色に描く場合もあります。色盲の子どもが使うクレヨンは、妙に黄色や茶色ばかりが減り、そのことで母親が気付く場合もあります。
また晴れの日には信号の色を理解できても、曇りや雨の日には難しいといった、色の恒常性 注2)に問題がある人も多いものです。
【黒の次は赤】
小学校低学年の児童の中には、一枚の絵をクレヨンの黒や茶色でしか描かず、小学2年生ぐらいから、今度はほとんど赤だけを使い描くことがあります。色覚の発達の違いがあり、認知できる色が少しずつ増えていくような場合もあります。他の子どもの例では、チューリップの花びらの一枚一枚を黒いクレヨンの線で明確に描き、よく見るとピンクの点を花弁の2枚にだけ点のようにうち、「ピンク」を控えめに、輪郭は黒で明確に表現した子どももいます。ピンクという色の感度が、低いことがうかがわれます。
【真っ黒い花丸】
幼稚園児のワークシートに先生が大きく花丸を赤のフェルトペンで描いてくれたその花丸の上を、その子どもは家に帰り、いつも真っ黒のクレヨンでなぞっていました。お話がよくできる子どもなのに、なぜっ?と母親はその行為の不気味さに、頭を抱えてしまいまいました。赤の色の明度だけをとると、黒よりはうすいグレーとして映ります。薄い色がいやで、黒になぞってしまう場合もあります。
【立体感のないフラットな絵】
大変明確な色を使って描かれているにもかかわらず、立体感の乏しいフラットな感じの絵を描く子どもがいます。時には母親が絵の課題の提出前に、全面的に塗り直しをしていることもあります。人が立体を立体として意識できるのは、立体を形づくる面の明度差を認知できるからです。明度の拾いの粗い人は、実は立体視や奥行き感をつかむことが苦手になります。微妙な濃淡や色合いを理解できませんから、かえって派手な色や強いコントラストを好みます。この派手な色を使って立体を描くものですから、着彩されているもののかえってフラットな感じの絵になってしまいます。微妙な色の中には淡さもあり、影を表現する色彩も含まれますから、これに不全がある人の場合には、静物画を描いても影がどこにどのようにあるのかわからないということが生じてきます。さらに北海道を除く本州以南では、秋の空高く、うろこ雲がたなびき、空気は乾燥し日差しは強く、そのために路面の影がパキッと濃くクリアーに映る1日か2日がありますが、このようなことも意識できないことが、しばしばあります。
【本当の色がわからない】
絵本のお話から「お空は青」と聴き覚え、絵を描くときはいつもクレヨンのラベルにある「青」や「空色」を頼りに色を塗っている子どももいます。ある時担任の先生から「お空は、本当にそんなに青いかしら?空をよく見てみて」と言われたというのです。空を見たものの、先生の言葉の意味がわからなかったと言います。空には雲もあり、それも薄いグレーやグレーがかった淡いブルーなどと微妙な色合いですから、微妙な色の濃淡を拾うことが苦手だったようです。さらに大人になり、自分は目の前の色は理解できるものの、色を思いだすことができないと言います。
【お友達の顔の絵が描けない】
立体視が成立した後、小学3年生では実際に目の前にいる「お友達の顔の絵を描きましょう」という課題があります。しかし大真面目に目の前に友達の顔を見ているにもかかわらず、一筆も描けない子どもがいるのです。そのことで先生も親も困惑します。顔の表情を読み取れない、あるいは顔の大方が見えていないか、部分だけが見えるといった相貌失認であることがわかります。大人になった人に聞くと、どうもはっきりとは見えずに輪郭がちらちらして見えるとい場合もありました。顔というのは、一人ひとりが「違う」というよりどころです。ですから顔がはっきりわからないというのは、相手に対しどうしても自分と同じとだと思う「一方的」な部分や、強引さが生じてしまいます。あるいは名札がない場合は、友達の名前がわからず、自分から名前を呼ぶことができずに、引っ込み思案にもなります。写真や絵画といった二次元に描かれた立体や空間は理解できますから、年度初めにクラス写真をとったあとからは、クラスメイトの顔を理解しだすこともあります。言葉のやり取りでも、怒っていないにも関わらず「怒っている」などと、感情の読み違いをすることもしばしばあります。
【微妙な濃淡がわからない】
また描く絵のほかに、立体的に空間が見えていない人の認知の特徴として、先述した明度の拾いの粗い場合があります。その中には白っぽい天井と壁の境目がわからないという人がいます。天井の壁際(きわ)から20㎝ほどのところを指して「ここは天井ですか、それとも壁ですか?」という問いに、数分間考えあぐね、天井にある小さなボツボツの穴を手がかりに、天井であることを判断するのです。
【ジーと見つめて、青が紫?】
青だと思ってジーと見つめていると、そのうち紫に見えたり、紫と青の区別が難しい人もいます。この他にも、母親と買い物に行った際、いつも色の名前のことで母親と口論になるといった人もいます。
このような例は、実は聴覚優位の人の視覚の不全にまつわるものと考えられます。不全と言いますと完全ではないということでショックを受ける人もいるかもしれませんが、いわゆる誰にでもある認知の偏りの一つということです。つまり例に挙げた方々は、聴覚からの言語での記憶や理解、さらにそれらをもとにした文章表現に強く、また音の質にこだわるといった特徴があります。一般には学業成績は優れていると評価されることもあります。明度の拾いが粗い人では、空間の奥行き感を感じにくく、世界を二次元的にとらえることになります。そうなると物事の概念や関係性を捕えることが難しくなります。しかし中には論理性に長け、大変流暢に話すことができる人もいます。耳元にヴォイスレコーダーが付いているみたいと言い、一度聞いた物は何度でも再生可能で、外国語が得意な人もいます。つまりは視覚の不全がある人は、聴覚を生かす仕事へと向かうことができるでしょう。ここでは割愛しますが、反対に聴覚に不全のある視覚にすぐれた人は、それを生かす仕事へ向かうことができ、しかもそれぞれの特徴が分かれば、その両者が補い合うこともできるのです。
さらに聴覚優位の人の特徴として、物事の概念や関係性に疎い面や、微妙な変化を見て感じることの苦手さがあります。時に二次元的で表面的な理解をしがちですから、他の人が言わなくても実は「当然思っていること、感じていること」などには理解が及ばないこともしばしばです。大人の場合には、無意識にテレビの情報や書かれているものを、うのみにしてしまう為に、あまりに観念的すぎて、周囲からうとまれてしまう場合もあります。
教育の中でその子なりの、本来の優れた部分を見つけることは、かなり難しいものです。かえって偏りのある子どもたちのおかしさの方を注視してしまうのは、誰しも同じではないでしょうか。そこで母親や学校の先生方も意識しやすいちょっと変わった部分、つまり上述した特徴的な絵の描き方の表現(視覚の不全部分)や色への感度を知ることで、今度は優位性を逆手にとり、何が優れているか(聴覚優位)という可能性を考え、発展させることもできるのではないでしょうか。明らかな聴覚優位性を示す子どもの中には色覚に偏りがあり、幼稚園や小学校で絵を描く課題に対し「色を塗りたくない」ということも生じてきます。さて、このような場合にどうしたらよいのでしょう。人は物を見て美しいと感じるから、その喜びを絵の中で再現するために色を使って表現しますと、いともたやすく視覚優位の人は言うことでしょう。がこのような色彩が不得意な子どもの場合には、線の入力が強く(線優位性)、形をアウトラインやシルエットとして把握するのが得意な場合もあります。白黒での細密画が得意の子どももいますから、線画のままイラストのように仕上げることも一つの方法でしょう。また同様な子どもの場合、色や形そのものに全く関心がもてない場合もあります。しかし言葉や音には感度が高いこともあり、触った感覚や印象など興味をもった部分を絵ではなく、お話や文章で表現したり、そのものから受け取ったインスピレーションを作曲に生かす子どもも出てくるかも知れません。とすると子どもの認知特徴を生かし、長所を伸ばす教育というのは、図画の時間に、ひとつの教室の中に、絵を描く子どももいれば、作文や作曲をしている子どもがいることになります。ということは教科名を「図画」ではなく「表現」とする方が適切ではないかと、ひそかに考えてしまいます。
認知特徴は、さらに学習障害を持つ子どもの場合、この強い聴覚や言語理解を生かした方略を考えることにも、あるいはまた老人の認知症への対応に生かすことも可能です。色や視覚の認知は、こころの成り立ちとも深く関係がありますが、このあたりのことはまたの機会にお話ししたいと思います。
人の見え方は様々で、色の認知の表現の一端が、実は子どもの絵の描き方に表現されていることを、ご理解いただけたのではないでしょうか。あなたが描いた絵の、あるいはあなたのお子さんの色使いは、どんなだったのでしょうか。さあ、思いおこしてみてください。
(おかみなみ / 認知・デザイン)
注1)色盲とその3タイプ
2002年まで学校では色盲検査が実施されていました。検査が廃止された現在では、大人になってから、就職の際に初めて知る人もいます。検査は1961年に当時の東京大学医学部眼科教授 石原忍氏によりつくられた『石原式仮性同色検査表』を用います。一般の色覚者が読める数字や文字が色弱者には読みとりにくく、またその逆に色弱者にしか読めないものがありますが、見分けるのに苦手な領域の色と得意な色を組み合わせてつくられています。
色盲には3タイプあり、赤を強く感じる錐体が不全のタイプと、緑を強く感じる錐体が不全のタイプを加えると、日本の人口の約5%になります。青を強く感じる錐体が不全のタイプは、10万人に一人いると言われています。赤と緑に関しての色盲の人の数は、およそ20人に一人といわれています。
(参考:伊賀公一『色弱が世界を変える―カラーユニバーサルデザイン最前線』 太田出版、2011)
注2)色の恒常性
物の色が、異なった光源でも同じ見え方をすることです。例えば白い紙は、日向でも、日陰でも、あるいは白熱電灯の下でも、白い紙として見えることを言います。
参考:
岡 南『天才と発達障害―映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル』 講談社、2010
杉山登志郎・岡 南・小倉正義『ギフテッド―天才の育て方』学研教育出版、2009
宮尾益知『発達障害をもっと知る本』教育出版、2007
J.アトキンソン、金沢創・山口真美監訳『視覚脳がうまれる』北大路書房、2005
藤本浩一『子どもの絵の対象の見え方の理解の発達』風間書房、2000
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- 岡南著『天才と発達障害―映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル』(講談社、2010)
視覚優位・聴覚優位といった誰にでもある認知の偏りを生かし「個人が幸せになるために」書かれた本です。読字障害(ディスレクシア)でありながら、視覚を生かし4次元思考するガウディ。聴覚を生かし児童文学の草分けでありながら、吃音障害、人の顔や表情を見ることができない相貌失認のルイス・キャロル。個人の認知特徴を生かし「やりがい」をもって生きることについて考える本です。
- 杉山登志郎・岡南・小倉正義著『ギフテッド―天才を育てる』(学研教育出版、2009)
能力の谷と峰を持つ子どもたちは、認知特性の配慮と適切な教育により、その才能を開花させることができます。ギフテッドの教育の在り方、才能の見つけ方や伸ばし方を解説し、一人ひとりのニーズにこたえる特別支援教育の在り方を提示しています。どの子どもの特性を伸ばす為にも、ヒントになることでしょう。
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