納豆

 馬の背に跨っていた煮豆が、納豆に化けたのは、遠い昔山野にまだ、魑魅魍魎が跋扈していた頃である。
 まれにみる将器といわれた、かの八幡太郎義家が、奥州平定の意気に燃えたち北上した古道筋には、今も名物の納豆が多い。前九年の役といえば今から約五百年前である。
 その頃の合戦は馬体こそが恃みの機動力で、馬のガソリンは大豆であった。馬糧は、騎乗する馬に一日三升、荷運びの駄馬は二升であったとか。時代によって異なったであろう。ともかく馬は、そこいらの人間よりも大切にされていた。

 この奥三河では牛であったが、五百年前迄は玄関を入った土間の片側を囲って、その中に干し草や藁を敷いて養われており、ものが言えないだけ余計に、いとおしがられていた。
 牛は、馬栓棒とよぶ横木の間から貌をはみ出させて、対い合っている茶の間の家族たちを眺めていたりする。家人が食事の最中でも遠慮なく、時には驟雨のごとく音を立てて放尿するから、蚤しらみ馬の尿する枕もとさながらであったのを思い出す。

 さて、その大豆は軟らかく煮てから、穀粉や糠をまぶして馬に与えるが、それだけでは馬体に良くないので、藁や草をふんだんに食べさせてやるのである。
 すみやかに戦場を移動するときは、煮上がった豆を俵などに詰め、馬の背に振り分けて乗せた。馬にとっては、わがものと思えど背の煮豆は重かったろう。
 勇んで進軍するうちに、俵の藁にひそむ納豆菌の胞子が煮豆の熱さで目を覚まし、申し合わせて立派な納豆になってしまった。ものの弾みとは面白い。
 此のねばねばの煮豆を見た兵士らは大いに驚き「失敗った、腐った」と早合点して捨てようとしたらしい。未練たらたら、これを掬いあげ最初に試食した人はえらい。そしてこれを、食糧になると判断した八幡太郎義家は、またえらい。
 以後、人馬ともに納豆を分け合って食べることとなる。腐ったくらいでは捨てられない程、大豆は貴重な食料であった。乾燥さえすれば保存に便利なのも良かった。

 子供の頃の絵本に、美しい鎧武者が騎馬姿で、花吹雪のなかに佇んでいる絵のそばに、八幡太郎義家の歌として、

  吹く風を勿来関と思えども道もせに散る山桜かな

とあり半世紀たった今も昔の武将の嗜みを思い出させてくれる。そうして、腐りかけと見えた煮豆は『納豆』に昇格し、今に至るもスーパーの売場に一画を占有している。

 ところで、瀬戸内海の眩しい陽光のなかで育った住民は、お多福顔のそら豆をカラリと炒って、生醬油の中へぴーんと弾きとばした『醬油豆』などは嬉しいが、ねばっこい糸をひく、まるで女郎ぐものジ住処のごとき納豆は、見たこともなかったし、ましてや食べるなんてことは大閉口である。あの蜘蛛の巣をからめとったような中に、箸を突っ込む勇気が無い。
 だが昨今、そうばかりも言っておれない事態にたち至った、いかんせん老化である。無頓着で気付くのが遅すぎ、大いに困惑している。
 決め手のない顔に皺が殖えすぎた、でも化粧は苦手だから化けようがない。膝もなんだか不平がましく、勤行の時の正座が難儀になりそう。さきゆき、お経をはしょるのもどうかと思うし、膝だけは治したい。その上、老眼鏡が必須となった、本の虫にでもなりたい私に、これは辛い。
 ところが、当の私よりも、御仏の方が先ず御心配下さって、或る朝、私の眼前に納豆を霊示して「食べなさい」と教えて下さった。
 学ぶべきこと、参詣すべき社寺などの御霊示は折りおりに頂くが、今回は納豆である。まことに有難いことである。でも洵に困惑だった。
早速、農協スーパーに駈けて納豆を買って来た。されど、これを暫く見詰めて考えた、どうやら頭で食べた方が良さそうな気がする。百円の納豆だとて迂闊に手出しはできない。
 そこで本棚を揺さぶって調べてみた。その結果、納豆は凄い健康食品であることが判明した。ビタミンB群をはじめ、体の機能をスムーズに働かす為の各種成分が、沢山に含まれており栄養価も高い。B2の合成力が極めて強いから、体の抵抗力を増し疲労回復が早い。何しろ大豆蛋白の九割以上を吸収できるという。納豆を食べると、消化整腸力をたかめ新陳代謝を活発にするから、目の衰えにも効く効くと書いてある。これは見逃せない。
 おまけに納豆には、ナットキナーゼといって、血液の凝固性を低める成分があり、夜に食べておくと、心筋梗塞や脳梗塞を防ぐ効果が数時間も続くという。
 但し、その方面の薬を服用中の人は、反って害になるといけないから食べない方が良い時もあると、至れり尽くせりの注意ものせてある。
 御仏の仰せは、まことに御尤もでありました。納豆とは凄い薬餌であり、呆れる程、安価な食品でした。私にぴったりのものだったと知ったからは必ず食べよう。

 かつての日露戦争に於ける日本軍の強さを、ドイツは大いに興味をもって研究したという。その結果、大豆製品の味噌や納豆に注目して、大豆による食品を製造し、これを軍用食に採用した話が残っている。
 それは大豆粉末を、スープやソーセージ・パン・マカロニなどに混入したのである。ドイツは此の大豆を『畑の肉』と讃え、自国の畑にせっせと播いて育てた。ところが何と、芽が出て葉が出て花は咲いたが、肝心の実來が成らぬ。どうして実來ができないのか。
 ドイツは大いに怒って、種元の日本を叱り飛ばしにやって来たが、日本だとて何が何やら、訳が分からない。
 だが、当時の真面目な日本人は、必死に原因の究明にのり出した。日本の大豆ですから『ドイツ語がわからなくて』なんてこともあるまいにと、国威をかけて頑張った結果は、なんとまあ、ドイツの土に根瘤菌というバクテリアが無い為と分かった。
 意気込んでいたドイツは大いに残念がった末、泣く泣く、大豆作りを諦めたという。そのかわり満州の大豆を大量に買い占め、これで栄養価値の高い軍用食を作ったのである。
 あのUボードの乗組員たちも、大いに此の食品を食べて、軍務に精励したそうだ。Uボード、知らない?そうか。
 イギリスも日本に注目した。何で強いんだ、日本は。という訳である。但しこれも明治の日本であった。そして、日本人の頭脳の良さに驚いていた。これも明治の日本の話で、只今の我らのことではない。
 そしてイギリスは、日本人の賢いのは、微生物を上手に使って、味噌・醬油・納豆などを作って食べるせいである。と気づいてくれた。大豆が重要なのだとも分かってくれた。やがて、大豆争奪戦が起きるかも知れない。
 大豆のレシチンが、結果的に脳神経に良い働きをし、記憶力・集中力・創造力を高めるからだと判断をした。
 日本の昔型食生活の利点である。現在の日本人は賢くないそうだ。テストの結果を、外国がちゃんと発表している。
 さてさて、私の納豆に戻ろう。本の何冊分も頭で食べたのだから、もう安心。口の方も納得して食べられるようになり有難い。でもまだ納豆の旨味は分からない、奥の深い食品であるとみえる。歴史の味とでも言うべきか。
 食べる時は、なるべく量をふやさず飲み込む。先ず納豆を片付けてから、やおら正気にもどり御飯にとりかかる始末である。
 納豆にはビタミンAとCが無いから、青ネギ・青じぞ・大根おろし・かいわれ大根などを添えることをお忘れなく、などと本には書き足してあったがなあ。少々、うしろめたい。
 納豆は冷凍しておいても、常温にもどして食べれば影響は少ないとあるが、早く食べた方が風味が良かろう。
 ところで、納豆を作る温度は、草津の湯より熱い方がよいらしい。五十度でも上手に出来るとある。低温では雑菌が殖えて腐るらしい。

 思いがけなく背中で納豆を作った馬は、さぞ暑くるしかったであろう。馬に生まれると、ご苦労というほかはない。
 そんなこんなで、なめくじを噛むような食べ心地には慣れたものの、この仏恩に報じる為、せめて納豆の一句をものさねばと思っている。真面目に納豆を食べる昨今である。

和顔愛語
   児も働き
    ようやく建てし我家は
    立ち高く
     赤き瓦で葺けり